人類亡き後の知的生命は、一体どんな憐れみの目を人類に向けるのだろうか!? | まきしま日記~イルカは空想家~

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ちゃんと自分にお疲れさま。

今日、多くの人が暗黙のうちに「人類こそが生物史上最も成功した種である」と認識している。まだ人類が地球に登場して700万年しか経っていないにも関わらずだ。そしてそれは恐らく、専門家も例外ではない。なぜなら多くの科学者が、生命は進化の果てに必然的に知的生命に至ると考えているからである。


しかしそれほどまでに知性獲得を自画自賛する人類は、なぜかその将来に関しては悲観的だ。多くの生物種が数千万年という期間をかけて進化・衰退していくのに対し、人類はわずか1000年後の自分たちの存続すら危ぶんでいる。俺はこれが実に滑稽に思えてならない。


例えばこれまで生物の大量絶滅をもたらした天変地異、氷河期や地殻の大規模変動、巨大隕石の衝突などは、数百年後には人類にとって災害とはならなくなるだろう。全ての自然災害は人類のテクノロジーの下に管理され、未然に防止可能なものとなる。ならば人類を絶滅せしめるのは天災ではない。核戦争や環境破壊といった人災である。


産業革命をその契機とするならば、人類が近代文明を構築してまだ250年である。そして進化論よりも遥かに早く、今後数百年のうちに人類が自ら滅亡のスイッチを押してしまったとしたら。人類亡き後の知的生命は、一体どんな憐れみの目を人類に向けるのだろうか。