イギリスが英語講師を輩出するならば、日本は道徳講師を輩出してはどうだろうか? | まきしま日記~イルカは空想家~

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ちゃんと自分にお疲れさま。

今日はネットに寄せられた、ある中国人男性の日本での体験談を紹介したい。


訪日中のある雨の日、彼は濡れた傘の紐を開いたまま電車に乗った。当然ながら、傘の骨組みが周囲の人々にに引っかかり、彼はイライラしていた。それを見ていた日本人小学生が言ったのだ。「おじさん、傘の先を紐で絞めなよ。そしたらどこにも引っかからないし、周囲の人も濡れずに済むよ」。


小さな子供に圧倒的な正論を唱えられた男性。しかし恥辱以上に、彼は強く感嘆した。「日本ではこんなに小さな子供までもが公共マナーを学んでいるのか、中国とは大違いだ」。以後その男性は少年に習い、電車内では傘の紐を閉じるようにしたという。


ここで俺が着目したいのは、日本人小学生の行動ではなく中国人男性の反応だ。人間は生後から就学期までのわずか6年間、主に家庭教育によって善悪の判断や価値観が定まると言われる。そしてある人たちは口汚く叫ぶ、「中国人、朝鮮人は生まれながらの犯罪者だ」。


しかし中国という国家的イデオロギーの中で数十年を送ったその男性は、日本人の子供のたった一言で善悪の基準を改めた。これが意味すること、人格形成には国家も年齢も関係ないのだ。


ちなみに俺の出身高校では、英語の授業はイギリス人講師が壇上で教鞭を取っていた。今後も英語が世界共通語ある限り、イギリスは英語講師を輩出し続けるだろう。


ならば日本は道徳講師を世界に輩出してはどうであろうか。中国、韓国、北緒戦が反日教育を掲げている手前難しいというならば、それ以外のアジア、オセアニア、南米、アフリカの国々に対してだ。日本の道徳的素養は少なからず彼らの心を潤すと、俺は思うのだが。