例えばアニメ『ドラえもん』を観て、誰もが一度は抱いたであろうこの疑問、「果たして将来、タイムマシンは発明されるのか」。
古今東西SF作家やオカルトマニアのみならず、一部の科学者たちの間でも真剣に議論されてきた、まさに人類普遍の一大テーマである。現在タイムマシン発明の可否について、大多数の物理学者は否定的であるが、いまだ完全なる反証には至っていない。
タイムマシンの発明を不可能とする論理的根拠として、しばしば取り上げられるのが「タイムパラドックス」の問題である。タイムパラドックスとは、「タイムマシンで過去に遡った結果生じる矛盾」のことだ。最も有名なものとして、「親殺しのパラドックス」が挙げられる。
タイムマシンで自分が生まれる前の過去に行き、自分の親を殺したとする。ならば当然、自分は生まれてこないことになる。しかし自分が生まれないならば、そもそも親は誰に殺されたのか、という問題だ。
◆後世に残したい国民的アニメTOP10
(フジ『アニメアカデミー
1億3000万人が選ぶ不朽の名作』より)
1位 サザエさん
2位 ドラえもん
3位 となりのトトロ
4位 まんが日本昔ばなし
5位 ドラゴンボール
6位 ONE PIECE
7位 名探偵コナン
8位 風の谷のナウシカ
9位 鉄腕アトム
10位 アルプスの少女ハイジ
そしてタイムパラドックスの問題は、『ドラえもん』の中にも見て取ることが出来る。のび太は将来ダメ人間のまま大人になってしまい、一代では到底返しきれない大借金をしてしまう。そのせいで22世紀、のび太の孫の孫であるセワシの代まで野比家は貧窮していた。そこでセワシは、現代21世紀ののび太の元にドラえもんを送り込み、教育係としてのび太の更生を託す。これが『ドラえもん』のストーリー設定だ。
けれど、よくよく考えてみてほしい。のび太がドラえもんの助けを借り更生して立派な大人になれば、子々孫々まで及ぶ大借金などせず、結果セワシの代まで返済に負われることもなくなる。セワシが何一つ困窮していなければ、そもそもドラえもんがのび太の元に訪れる必要がなくなってしまうではないか。
ややフィクション染みてはいるが、上述のドラえもん来訪のタイムパラドックス、「多元宇宙論」を用いれば簡単に解消することが出来る。ドラえもんがタイムマシンで過去に干渉したことで、(A)のび太が更生しない未来と(B)のび太が更生した未来が並行的に生じるのだ。
しかしそれでは(A)の未来、もともとドラえもんを派遣したセワシの窮状は全く解決されないのである。