俗説「水戸の女はブスばっかり」
三月もとうとう最終週突入だけど、春めいてきません。最低気温が氷点下、最高気温が一桁で春とは言えません。そんな中、偕楽園の梅が七分咲きと健闘してました。
■偕楽園本園に咲く紅梅です(この頃は三分咲き)
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水戸の女はブスばっかり。水戸の男はバカばっかり。
と自嘲めいた言い方が水戸人の一部に残っています。今回は、これについて女の部を検証したいと思います。男の部は次回にしたいと思います。
● 水戸の女はブスばっかり ●
1600年関ヶ原の戦いのあと、勝利者である徳川家康は、敗者の石田三成と親しかった常陸国水戸城主佐竹義重・義宣父子に秋田への国替えを命じました。国替えの時、領内の美人を根こそぎ秋田へ連れて行き、残ったのはブスばっかりと云う訳です。今の秋田美人は、400年前の水戸美人という事になります。
明治期の旧制水戸中学日本史教授が言い出したと思われます。教え子たちによって旧制水戸高校、そして現在の水戸一高へと、日本史で関ヶ原の戦いを教える時に受け継がれたようです。
戦後の茨城県高校は、一高が男子で二高が女子という当県らしい変わった制度が昭和40年代まで続いていました。男子県立校の日本史授業で秋田美人=水戸美人と云う俗説を真顔でつい最近まで教えられていました。さすがに男女共学が一般的になった現在はなくなったようです。勿論、日本史教師が女性ならば論外事項です。
小生にとっての秋田美人は歌手「桜田淳子」です。可愛い美少女でした。変わった結婚で残念な引退でした。
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