街道見下ろす要害の地「山方城」 | 偏屈な親父による「デジタルカメラ」ぶらり日記

街道見下ろす要害の地「山方城」

お盆の折、妻の母方の墓参りで旧山方町を訪れた。国道118号線のトンネル上にお城があるのは以前から分っていた。「山方城」とか「御城」と呼ばれ、気になる城だった。しかし、目的があってこの地を車で走り、通過となる事がほとんどです。時間の制約があり、途中下車的に城へ行く事が叶わないでいた。今回、家族を駐車場に置き、10分だけの短時間で登城して、10枚の写真を撮影し、大汗をかきながら下城した。国道118号線は、久慈川沿いを走って水戸・大子・棚倉を結び、今も昔も茨城県北部の重要街道です。
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「山方城」の築城年代は不明といった方が正しいと思います。佐竹氏が躍進した南北朝の後に築城という説が有力ですが、鎌倉期は佐竹氏支配領地なので意外と古い説もあります。
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「山方城」は、佐竹氏一族・有力家臣が城主をつとめました。久慈川を見下ろす要害の地に位置し、城下は宿場町としても栄えました。戦国末期には、伊達政宗との戦いにより城の重要度が増した。
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関ヶ原の戦いの後、佐竹氏は秋田へ移封され「山方城」は廃城。水戸徳川家の領地になって、文化的・歴史的価値かるものが消えた。
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城跡には、旧山方町(常陸大宮市)が観光用模擬天守を建てました。御城展望台として、久慈川と昔の宿場町を望むことが出来ます。
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