亡き母の思い出話 | 介護終わってひとりごと

介護終わってひとりごと

介護三昧の日々に終止符が打たれ、ほんの少し仕事しながら、どう生活していくか考える毎日

まだ伝えたくなかったけど

母逝去が伝わっちゃった知人。

50年くらい前からの知り合い(笑)

 

うちの母と同い年のお母さんがいて

今、療養型医療施設に入院中

 

うちの母は10年以上前から車椅子に

なってて、食事もお風呂も1人では

出来なかったけど…

 

知人のお母さんは独り暮らししてた。

長寿家系なのもあって絶対100歳は

超えるだろうくらい元気だった。

 

腸閉塞をしてから長期入院となり

病院の医師からはもううちの病院で

最期を迎えるだろうって言われたそう。

 

嚥下能力が落ちたから点滴になってて

栄養剤にしようか中心静脈栄養にしようか

みたいな話から、それは余計な延命なんじゃ

ないのかって悩みに悩んで…

 

兄と弟がいるから相談して…結果

仮に延命であったとしても

やれる限りの事はしてあげようって

ことになったみたい。

 

でも、弟の方は…今後介護が必要になっても

申し訳ないけど自分と嫁は介護出来ないって

きっぱり言ったそうな。お金は出しても。

 

兄の方はもう高齢だし障害者に

なっちゃってるから介護は完全無理。

 

だからその知人は娘一人で介護を背負う

形になるわけだ。

だから本当に悩みに悩んだらしい…

まぁ一人娘の私と同じといえば同じ。

 

だから時々、ピアノ教室始まる前に教室に

来てて私とお互いの母親の話をした。

そして介護のこといっぱい話した。

 

うちの母が力尽きたことを知って

改めてお話したいって言われて

会ってケーキ食べてお茶飲んで

お話をしたんだ。

 

亡くなった時の事とかもう

寝たきりになってからの話は

けっこうすることあったけど…

 

もっともっと元気だった時。

かぼちゃや里芋の煮たものや

煮魚、魚の照り焼きなんかが好きで

よく作ってました~とか。

 

お肉はハンバーグしか噛めなかったし

半分食べるのが精一杯で~

それでも白米は食べたいっていうから

2号炊くんだけど冷凍して10日間

に分けて食べるほど少食でしたなんてさ。

 

特に車椅子乗り始めの頃の話なんか

何年ぶりにしたんだろう。

話す相手も機会もなかったよね

 

本当に思い出話ができたな~って思った。

いっぱい思い出してあげるといいって

聞いたことある。

 

そっか。最期の時を思い出すよりも

まだちょっとは若くて元気だった頃の事

思い出して…あぁその頃はよく喧嘩もした(笑)

 

そうだね。

父の事も併せて思い出してあげよう。

2人との思い出はいっぱいあるから。

 

小さい頃は覚えてないし~

仕事忙しくしてた頃はあまり顔も

合わせてなかったけど~

 

むしろ介護初めてから2人とは

時間さえあれば一緒に散歩してたもんね~。

 

父は足引きずって杖ついてたけど歩けてたんで

手を繋いで一緒に買い物行ったり、単に散歩したり

メジロやカワセミとか、鷺や鵜とか、見たことない鳥が

野生でその辺にいることを知ったし…

恥ずかしながらその名前も父に教わった(^^;

 

子供の頃も普通に両親とは過ごしてたと

思うけど正直言って記憶ないからね~

大人になってからの方がずいぶん一緒にいたと

思うよ~普通の人よりも。

 

だから明確な楽しい記憶がいっぱいある。

そっか。思い出話っていいね。

色褪せらせることなく

小まめに思い出して笑おうっと。