ヴァンヘイレンロスが続いてる訳ではないけど
彼の音楽をちょこっと聴きはじめるとやめられない止まらない ♪ ^^;
そんな中、5年前(60歳時)のインタビューコンテンツに出くわした。
家族のこと、人生を語るってとこでしょうか
(^_−)−☆
このインタビューの中からいくつか拾いました。
(聞き間違い多分有るが概ね大丈夫🙆♂️👌)
お母さんの国籍は当時オランダ領のインドネシア
彼はそれを
「「母はオランダにとっては2級国民」 だったんでね」
とサラッと語る。
うん。日本人の我にはよう分からん。
彼の両親とも音楽家なのは周知ですが
オランダからアメリカに移民した時の様子
(多分1960年頃)
9日間、船に揺られて到着
カリフォルニア州のパサデナ(LAの北)へ
お父さんはジャニター(ゴミ清掃の人)
お母さんはメイドで暮らし始める。
他の家族と一緒の家で暮らし、家族は一つのベッドに寝てと言う暮らし。
英語はゼロ
言葉もできずアメリカの小学校の登校初日は
「もう恐怖しかねぇ」 だったと。
学校で最初の友達は黒人の子
いじめるのは白人達
ノート(だったかな)はビリビリ破られ
運動場でランチ食べさせられ みたいな世界
これで強くなったらしい 笑
注:ここで状況をOvercome出来る子ばかりじゃ無いからね。彼にそのチカラがあってヨカッタ^ ^
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エディのこの話聞いて、自分の子供が3歳の時アメリカに来た時と重なった。
息子を仲間外れにするのは日本語グループの日本人の子たち🇯🇵。
助けてくれたのはその他(白も黒も中韓のアジアに日系人もw)
白人の野球コーチには打順回してもらえなかった事もあった(涙)
あれはMaxが後ろに引っ込んでたからって説も(笑)
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話がまた逸れた(笑)
そんな兄弟(兄Alexはドラムの人) を両親はピアノを習わせにサンペドロ(私も長年住んでた街の隣街でLAの南。 彼らが住んでいるパサデナからは遠いよ)
まで通わせてた。
ご両親はここが偉いよなぁ
兄弟の才能が死ななかった。
or ちゃんと早くに才能が花開いた
と思うのです。
ロングビーチの大学の音楽大会に兄弟揃って三年連続優勝(入賞? 忘れた)
モーツァルトだかバッハだか知らんが課題曲はクラシック
Wikiよると審査員がエドワードに
「君のあの曲の解釈(Translation)は素晴らしいよな」
って言うと
エドワードは
「ええ❓❓
ボクは一音たりともハズさなかったと思ってたけど!?」
と言ったそうです。
独創性
彼のギターを聴くと
ピックアップを変えるときのスイッチ音からスクラッチやピッキングの「雑音」まで全てメロディーの中に組み込まれて彼の音楽を構成してるんです。
もちろんトレモロのアナログ強制的な音階ズラしのテンション入れは言うに及ばず。
この自分の想い、
その通りだとこのインタビューを聞いて確信した
彼には車のエンジン音まで音楽に聞こえると。
多分、彼は雨音やワイパーも全部がリズムで音楽に聞こえる人だったんだろうな。
ギターのパーツを安く買い集めて自分のギターを作ったエドワード
(最近の記事見ると「エディ」なんだが自分が中高生のギター雑誌は「エドワード・ヴァンヘイレン」もうそれでインプットされてるmy No)
周りの友達が持ってたディストーションやワウワウペダルなどのDeviceは買うカネが無かったから
組み立てたギターと🎸。
オノレの体だけでエフェクターと同じ音を出してやろうとしたんだと。
そりゃ上手くなるわ。
そりゃ新しい手法も奏法も出てくるわ。
彼のタッピング(ライトハンド奏法)が完成されたのはピアノみたいにギターで音楽を表現したかった気がする。
右手のピッキングでは追いつかないのよ
「でもこうすりゃもう一音挟めるじゃん!」
みたいな事考えたんじゃねえのかな(笑)
これ大事だよな。
不便だからこそ生じるイノベーション
楽譜が無い好きな曲の音を一つづつ拾っていくのは自分の様な才能もない人間には面倒だったけれど楽しい作業だった。イノベーションはなかったけど(笑)
聴衆からの質問コーナーがあった。
「今となっては死んじゃった昔のミュージシャンと一緒に演奏できるとしたら誰としたいですか?」
と言う質問に対しエディの答えは
「父とジャムしたいかな」
エディ。。 ナイスだよ👍
お父さんは彼ら兄弟の大成功をちゃんとみて天国へ行かれたそうです^ ^
PS
目の前で流し続けてる彼らのYoutube
60歳になったボーカルのデイビッドリーロスがシャウトしまくってる。
このバンドはやっぱり彼じゃなきゃダメよ(๑˃̵ᴗ˂̵)
お祭り男^ ^
楽しい夜です。
週末まで秒読み!
(こちらは火曜日 夜)
適当に頑張りましょ☆彡

