カンニングした受験(浪人)生を擁護する意見も出された。

「東大 京大 に合格する為には、それこそ十代後半の青春期の全てを勉強に費やさねばならないような生活を強いられている。いや、もう小学生くらい
 から10年以上 塾漬け勉強漬け の人生。それがたった2時間ほどのペーパー試験で判定され、人生を決められる。そんな日本の受験制度に
 何の問題もないのか?」と。

確かに今の受験制度、日本の大学の在り方、良くない、改善が必要な部分は多い。

しかし、「試験」というのは元々そういうものだ。何年もかけて努力しても、結果報われないことだってある、いや報われないことの方が多い。
大学受験以外にも、世の中には資格試験、採用試験を初め、もっと難関試験があり、多くは自分の人生を掛けて挑戦する。正々堂々と公正に努力
したあとの喜びは何物にも代えがたい。また残念な結果だったとしても(残念だろうが)納得と達成感は得られるはずだ。
後ろめたいことをして勝ち取ったものなんて、そんなに居心地がいいはずがない。

野球に打ち込む子供たち、それこそ甲子園を目指すならば、3年間全てを野球に掛けて打ち込む。いや、もっと小さいころからボールを追い、
バットを振り込んで夢を追う。それでも一発勝負、負ければ全て終わり。それでもやる。みんな納得して懸命に取り組むのだ。
これが いま某スポーツではやりの八百長でも使っての栄光なら、いったい誰が嬉しいと思う?

結局今回の事件も同じことだよ、結論は。