4月、5月とルイの学校へ通ってみました。
役員の仕事~
とか
先生に頼まれた用事~
とか
障害ある子の支援の資格を取ったので
ボランティア~
とか
色々、ルイにも周囲にもいいわけしつつ
目指すところは・・・ルイの様子を見ること![]()
家でノートを覗き見したり
チャレンジタッチをしているのを見学したり
宿題をしているのを見ているだけでは・・・
わからないもんだ![]()
・・・というのが、正直な感想です。
ルイは、勉強というもののやり方を
「今を乗り越えるために」
オリジナルの方法でのりこえています。
例えば、習ったところを映像記憶して、まる暗記。
ノートに書いた内容、先生の指導内容を
そのままソックリ記憶することで
テストや宿題ではそれを「再生」していました。
特に友達関係の悩みが落ち着いてきた最近では
テストはほとんど、100点満点です。
テストだけ見てると「勉強よくできてるね
」の世界。
でもそうじゃないんです![]()
それがわかったのは、やはり授業風景を見ての事。
授業進行にのっていないルイに気が付きました。
授業と言うのは、
先生と生徒の対話、考えの交換作業
において、よくコミュニケーションがとられています。
だから、みんなよく「はい!はい!」って手を上げて話したがり
先生の言葉に反応して、発言したり、行動します。
先生の言葉に、波に乗るように呼応する生徒たち。
でも・・・
ルイにとっては、この一連の先生との対話、呼応の作業は・・・
できていないというよりはむしろ
「じゃま」扱いです。
何に邪魔なのか ![]()
ノートを取る作業をしている時に
いちいち先生から問いかけがあると・・・
邪魔です。
色々、自分の考えをまとめている最中に
途中であれこれ追加を言われて手を上げるように仕向けられるのも
邪魔です。
グループ討論している時に
教科書に載っている「理想の答え」がそこに用意されているのに
わざわざ時間をかけて、「用意された答え」になるように話し合う・・・
その無駄さに、意味を見いだせず
ごっつい「退屈
」モード全開で
話し合いの時間や、子ども同士の話し合い・交流時間が邪魔です。
なので、話そうとしません![]()
さっさと、自分で回答をプリントに書いてしまいます。
「問い」には「答え」があり
それを導き出す行動<同級生との話し合い>には
意味を見いだせず![]()
とまあ、こういうことが
いくつもいくつも、いくつもいくつも・・・
それはそれは、ザックザク発見されまして![]()
ルイと場所を変えてカフェデートなどで
私が気づいたことをそれとなく話してみて
色々、ルイの考えている事、
いつも思っている事、困っている事・・・
日を変えて聞いて、話と場面をつなぎあわせて・・・
その話をもとに学校でまた見てみて・・・
やっぱりルイは、個性的だなぁと再確認。
本当の意味で「勉強」として
「自分の考えを作る材料」として
日々の学びが活用できるように、
ただの「映写機」として自分を使ってしまわないように
少し、家で取り組んでいこうと思います。
これは「ただの映写機」として
卓越した才能を発揮していた旦那からの切望でもあり。
「本当の意味での、勉強の仕方がわからなかった」
「覚えることでしのいだ」
と、ルイにはそれはしてほしくない、
成長して、高校、大学に入った頃に
自分のそのやり方で得たものに
自信を持てず、「これでよかったはずがない」と
疑念を持ちながら、でもそれしかできなかった、と
後悔しているからこそ、違う方法も「少し」でいいから
得られたら、と望んでいる、と言っています。
成績が良くても
いい大学に入っても
自分が「知識しかない」「記憶しただけ」
と、自分に自信が持てない過程を歩むと
それが自己卑下になるとは・・・
普通は思いつきませんが![]()
日常生活で、話し合い、意見を交換できる家族になった今
旦那は、「勉強にもそういう部分がある」ことを
ルイに知ってほしいそうです。
本当の「理解」ができるということは
充実感、満たされ感が全く違うと言う旦那です。
生活も、勉強も、ただのパターンの暗記、
知識の蓄積だけでは充足感は得られないと。
自分が「理解した」と感じることが大事だと。
難しい命題ですが、たくさんじゃなくていい、
わずかでも、少しでも
していたのとしていないのとでは違うのだ、
という旦那の心の叫びを
ルイには生かしていこうと思います![]()
・・・私、教えるの、ど下手なんだけどなぁ![]()
勉強を「解ける、覚える」次元じゃなく
「本当の意味で理解できる」にするのって
至難の業ですよ![]()
できるのかしら![]()