8月2日午前5時7分
父が亡くなりました。
65歳でした。
あまりに突然で、そしてあまりに早すぎ。
4人兄弟の末っ子で、一番先に逝ってしまった父。
その母親も痴呆ながらに93歳で健在です。
とても優しくて、不器用で、色んな事を知っていて、でも家族以外の人と話すのが苦手で、自分の気持ちを伝えるのが下手くそで、よく母に怒られていて、諦めが早くて、…とにかく優しい父でした。
死後の話を自分の記録のために少し詳しく書きますので、気分を害してしまうかもしれない方はここでおしまいにしてくださいね。
私の体調が悪くて父の所から早めに帰宅したのが7月30日。
その後咳き込むせいで出禁になり、呼吸をしている父に会えた最後の日でした。
母が泊まり込みをやめて一旦帰宅したのが31日。
その日は本当に安定しているとの事だったので、私は出禁だし元々平日休みがついてる日だったし延期になっていたムスメの七五三とバースデーの写真を撮りに行ってこようと思い立って電話をすると夕方空きがあったので撮ってきました。
父にも写真撮ったら見せるねーと前日に伝えていたので早速と思って。
すごくいい子で3着も着こなしてくれました
はい、親バカです(笑)
そして8月1日には血圧が下がり母がまた呼び出され泊まり込みを再開。
血圧が下がったら2、3日と言われていたのに…
行きたいけど行けない状況の私。
仕事にはマスク着用でちゃんと行ってきました。
職場では、いやー出禁にされちゃったー
なんて笑ってたんです。
そしてその晩は、安定してるから安心してと母からLINE。
震度2の地震があって家族LINEで、大丈夫ー?、全然なんともないー、とやり取りをして、無事に朝を迎えられますように
と送ったんです。
そして2日午前4時半過ぎ、脈がのびてきて危ないからすぐ来てと母からLINE。
さすがに明け方のLINEは気付けないよー…
4時45分に電話が来て、それは気付けたのでその時間で母からなのでもう嫌な予感しかなかったのですが、出ても何も言わなくて。
父につながるモニターの警告音と母の「父さん」と弱々しい声だけが聞こえていたのですぐ切って急いで着替えを始めました。
その時もしかしたら父さんに聞こえるかもしれないから声をかけたら良かったのになーって今更思います。
今更。
すぐにパパが気付いて起きてきて一緒に支度をして、ムスメの着替えといつもの荷物だけ持って、ムスメを起こして夜はオムツなのでまだ寝ぼけてるだろうからパンツではなく新しいオムツに替えて、出発しました。
高速に乗った方が早いかなーとも思いましたが、早朝ということもあり道路は空いていたので下道で行くことに。
ですが途中5時13分に母から電話。
あっ…と思いながらも出ると「5時7分でした」と。
あー、間に合わなかったんだ…
パパに伝えるととても悔しそうで。
寝起きで、しかも寝不足で辛いところを飛ばしてくれたのに、ごめんね。
父さん、間に合わなくてごめんね。
風邪をひいたばかりに丸2日も会えなくてごめんね。
まさかあれで最後になるとは思わなかったんだ…
ごめんね。
ごめんと涙しか出てこない。
本当に本当に悔しくて悲しくて。
5時45分頃、病院に着くと兄家族もちょうど到着して2家族で一緒に、時間外なので警備員さんみたいな人が面会の受付。
入院者が亡くなった事を伝えると先日のようにもたつく事なくすぐに確認してエレベーターを動かしてくれて案内してくれて。
病室に近づくといつもはシューという呼吸器の音とドレナージのカタカタという音が聞こえてきたのに全くの無音。
あー、呼吸器はもう稼働してないんだな。
ほんとに亡くなったんだな。
そう思ってから病室に入りました。
ベッドに寝ている父と傍に座っている母。
父の鼻に入ってきた栄養を入れるためのチューブも、口に入っていた呼吸器も、ドレーンも、点滴も、全部外されてスッキリした父。
毎日毎日苦しそうに眉間に深ーいシワが寄っていたのにとても穏やかな表情で。
ベッドの両脇にあった点滴の機械も、呼吸器も、ドレナージの器具も無くなっていて、すごーく広く感じました。
「父さん、お疲れ様」と声をかけるので精一杯。
もっと言いたいことはあったけれど、生きているときに言わなきゃ意味がないよね。
母さんにたくさん苦労かけてきたんだから、ありがとうってちゃんと自分の口から言わなきゃ!
少し迷惑もかけたけど、優しく見守って育ててくれてありがとう。
苦しかったねー、辛かったよねー。
ようやく解放されたねー。
お家に帰れるねー。
大好きだよ。
触るとまだまだ温かいんです。
でも手を握り返してくれることもないし、こちらが力を入れてないとするりと滑り落ちてしまう。
そしてものすごく白い。
今まで祖父母や曽祖母やおじおばのお葬式に出たことはあったけれど、こんなに亡くなった方に触れたことはないってくらいに触れたり見たりしてしまいました(笑)
しばらく時間が経つと硬直が進んできたり、刑事ドラマとか小説とかで見る死斑も見れてしまったり。
家族でどれだけの時間を病室で過ごしたんだろう。
看護師さんたちがキレイにしてくれて、葬儀屋さんが迎えに来て。
やっとお家に連れて帰ってあげられるねーって話だったのだけど、蓋を開けてみれば実家マンションの造りがそれを拒んできて。
母は、無理だと思うよーって言ったけれど葬儀屋さんは絶対大丈夫!って言ったのに…とショックを受けていました。
仕方がないので葬儀場の遺族控室を一室お借りしてそこで仮通夜を。
私達は一旦帰宅して数日泊まる用意をしてからそちらへ行きました。
これも仕方のないことですがクーラーがキツくて極寒でした(笑)
外は灼熱…身体がおかしくなりそう。
そして兄が死亡診断書を持って区役所へ。
その間に遺影選びに実家に行ってきました。
あまり写真に写らない父でしたので、というか子供たちの写真ばかりなのでなかなかいい写真がなく、私の結婚式の写真から選ぶことになりました。
実家のパソコンでデータを見て、いいのがあれば写メをして母に選んでもらう。
1人で写真を見返しているともう涙が止まらなくて。
何枚か候補を絞って、その中から母が選んだのはセレモニーホール、挙式場で両親たちと私達で並んで撮った写真でした。
笑顔が苦手な父の精一杯の微笑みだったように思います。
すごくいい写真でした。
私は今の半分くらいの細さでビックリでしたけど(笑)
選んだ写真は加工業者にメール。
そして父の元へ戻り、皆でお弁当を食べながらワイワイ過ごしました。
兄一家は早めに自宅に戻り、私達家族は夕方実家へ。
夜になっても母が戻ってこないのでLINEすると、なんかねー1人にしとくのもねー…と離れがたい様子でした。
最後の2人きりの夜ですもんね。
なんだかんだ仲良しだもんね。
2人とも寂しがりだもんね。
ようやく帰ってきた母は「あっつい!!」と一言(笑)
寒いくらいにクーラーの効いた部屋から来たら暑いわ〜
その日は何となくまだ父の死を実感できずにおりました。
長くなりましたので、お通夜と告別式の様子はまたきかいがあればお伝えしようと思います。
父の死後起きた事件もお伝えしたいと思います
書いては保存、書いては保存を繰り返しているうちにもう20日も過ぎてしまいました。
今でも読み返すと悲しい気持ちが蘇りますが、毎晩泣くという事はなくなりました。
会いたい気持ちはなくなりませんが。
静かな父でしたのでまだ普通にひっそりと部屋にいるのではないかと思ってしまいます。
でもいません。
実家にお骨があるだけ。
戸籍からも除籍され、マンションの名義も母へと相続されるように手続きも済みました。
この世に父はいません。
でも家族の心の中には生き続けています。
本当に本当に大好きなお父さん。
きっと今頃ワンコと元気に走り回ってるね。
いつかまた会えたらいいなぁ。
お母さんがそっちに行ったら2人で生まれ変わってまた結婚して、そしてその頃にはまた私もそっちに行っていて生まれ変わって…
また家族になりたいなーなんて思っちゃうのでした

