2015沖縄⑤義列空挺隊玉砕之地 | ランゴワンの地図

ランゴワンの地図

 2009年の8月、家の仏壇の引き出しから一枚の古地図を発見しました。地図の中央付近には、「ランゴワン」という地名が記してありネットで検索してみると、1942年1月11日、旧日本軍が初めて落下傘による降下作戦を行った、インドネシアの村の名前でした。



「義列空挺隊玉砕之地」です。 沖縄戦時に、97重爆撃機で占領された飛行場に強行着陸特攻した陸軍空挺部隊の碑です。



南側から撮影しました。 掩体壕の左側奥に、黒い人影が隠れたように思ったのですが、気のせいだと思います。



北側から撮影しました。 正面の小さな三角屋根が読谷村役場です。




昨年の台風で壊れた表示板らしいです。 掩体壕の表示板なのか不明です。 「全日本空挺同志会」に確認する予定です。


碑の基礎部分が下がってます。 盛土した方が良いように思いました。



「義列空挺隊玉砕之地」の、南側にある読谷村運動広場です。 碑は、右側のステージの後方100mぐらいにあります。



読谷村の役場です。 相当額の補助金を国から貰って建てたんでしょうね。



接写してみたら、「オスプレイ反対」の横断幕でした。 この横断幕も国の予算からですかね。



元々、「義列空挺隊玉砕之地」は画像の読谷村立中学校の校庭辺りに建っていたそうですが、村立中学校の新設に伴い掩体壕の隣へ移転したそうです。




 つまり、読谷村立中学校の校庭が 「義列空挺隊玉砕之地」 なんですよ。