菊地直子“愛欲”日記の凄い中身 | ランゴワンの地図

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 2009年の8月、家の仏壇の引き出しから一枚の古地図を発見しました。地図の中央付近には、「ランゴワン」という地名が記してありネットで検索してみると、1942年1月11日、旧日本軍が初めて落下傘による降下作戦を行った、インドネシアの村の名前でした。

夕刊フジ 2012.06.05

 1995年3月の地下鉄サリン事件への関与などで殺人、殺人未遂容疑で特別手配され、警視庁に逮捕されたオウム真理教元信者の菊地直子容疑者(40)。過酷な逃亡生活を送るなか、心のはけ口にしたのか、揺れ動く心情を日記に残していた。同じ境遇に置かれたオウム犯に芽生えた恋心、憎しみ、葛藤の数々。望まぬ肉体関係まで描写されているその壮絶な中身とは-。

 相模原市緑区の木造住宅に会社員の高橋寛人(ひろと)容疑者(41)=犯人蔵匿容疑で逮捕=とともに夫婦同然に暮らしていた菊地容疑者。

 警視庁の調べによると、菊地容疑者は地下鉄サリン事件で殺人、殺人未遂容疑で特別手配されている高橋克也容疑者(54)とともに横浜市や川崎市のラブホテルなどを転々とした後、約6年前まで川崎市のアパートで同居していた。その前後に、今回逮捕された高橋寛人容疑者と知り合い、東京都町田市、相模原市緑区で生活するようになったという。

 不可解なのは、菊地容疑者が川崎市のアパートから町田市に転居する際、高橋寛人容疑者がアパートを訪ねると、菊地容疑者が高橋克也容疑者と一緒にいたとされ、高橋寛人容疑者は取り調べに「(その川崎市のアパートで)2年ほど前に3人で話をした」とも供述している。

 謎だらけの三角関係も捜査の進捗とともに解明されていくのだろうが、一貫しているのは、逃走の17年間、彼女の傍らに途切れなく男の姿があったことだ。

 地下鉄サリン事件を機に95年5月から逃亡生活に入った菊地容疑者は当時、東京都八王子市のアジトを拠点に林泰男(54)、井上嘉浩(42)両死刑囚ら十数人と生活していた。

 警視庁の教団に対する強制捜査の本格化を受けて林死刑囚とともに姿を消し、同5月中に千葉県市川市のアパート、同10月ごろには名古屋市に居場所を変えた。

 そして96年11月、埼玉県所沢市のアパートで高橋克也容疑者らとともに潜伏しているところを捜査員に急襲される。炊けた状態のご飯、衣類のほか菊地容疑者の下着も残り、着の身着のままの脱出だったようだが、菊地容疑者はその際、ある痛恨のものを室内に置き忘れる。それが自身の心情を綴った「日記」だ。

 『刑事たちの挽歌 警視庁捜査一課「ルーシー事件」ファイル』(財界展望新社)の著者で、オウム事件を長年取材してきたジャーナリストの高尾昌司氏がこう話す。

 「日記は押収されたピンク色の表紙のルーズリーフノートです。メモに走り書きしたようなものですが、そこには、女性らしい丸っこい細かい文字でびっしりと自身の心情が書き連ねてあった」

 「二つの葛藤」との書き出しで始まる内容は興味深いものだった。

 「書き込みの多くの部分が、ほかのオウムの男性信者への思いや自身との関係に割かれていた。特に、同じ逃亡犯の身だった平田信被告には明らかな愛情を抱いていたようで、平田被告への執着が文章の節々からうかがえる」

 目を引くのは、教団の教義ではタブーとされていたはずの男女の交わりについての描写だ。

 「菊地容疑者は、自分の性欲を『邪悪心』などと表現し、『性欲』という直接的な表現を使う場面もあった。ほかの女性信者への嫉妬心も赤裸々に綴っていました」(高尾氏)

 菊地容疑者は現在のパートナーである高橋寛人容疑者と内縁関係になるまで、特別手配中の高橋克也容疑者と行動をともにした。

 しかし、高橋克也容疑者には憎しみにも似た複雑な思いを抱いていたようだ。

 「日記の中で、高橋克也容疑者に『無理矢理性交を強要された』という趣旨の書き込みをしているんです。内容から、所沢市のアパートで集団生活を送っていた時にそのような出来事があったと推察されます。それもあって、克也容疑者を軽蔑し、忌避するような描写がそこかしこにみられました」(同)

 公安筋によると、オウムの逃亡犯はみな「怪しまれないように」と男女一組になって行動していた。教団内での「位」によって組み合わせが決められ、多くは男性が上位で女性が下位のペアだったが、菊地容疑者の場合は違ったという。

 「高橋克也容疑者は教団内では何の位にもついていない下っ端。菊地容疑者の方が位が上で、逃走資金の1000万円も彼女に預けられた。本人からすれば、『なんで私がこんな男と』という思いもあったのでしょう」と高尾氏。

 逃亡時は20代前半だった菊地容疑者。日記からは、教団への忠誠と女性としての根本的な欲求との狭間で揺れ動く心情がかいま見える。その一方で、男性を選ぶ基準には、教団での体験が色濃く反映されていた。

 高尾氏は「教団内ではかなり上の地位にあった林死刑囚に尊敬の念を抱くなど、位の上下で男を見る傾向があったようだ」と振り返る。

 教団での価値観にがんじがらめになった菊地容疑者は、どこまでも「オウムの女」だったということになる。