ぽくは、26の発症以来50を過ぎコロナ後
に社会復帰した
それまでは、短期のバイト、若い頃は日雇
い仕事、運転手、土工など単純作業をして
いた。それは、協力性がない、友人がいな
かったので1人の世界が好きなことと人と
関わり合うのが苦手でストレスだったから
です。その当時は、尖ってて怒り💢っぽく
トラブルばかり起こす。
だから精神薬で抑えてました。
日常の音に敏感で、咳、物音がするとビク
ッとしてしまう。いちいちこんな事が気に
なるようでは、社会生活は送れないですね
だから、30年近く引きこもりました。
1人でいれば他人にストレスを与えたり
与えられたりする事はありません
友人もいましたが中学、高校の時の数名
の親友、あと一歳年上のバイクやサーフィ
ンという共通の趣味がある従兄弟
病気を開示してるので理解があり、それで
も僕と友人関係がある信頼のある人達です
後、この最悪の息子を見捨てなかった両親
感謝しかありません
親だからだ、と思います
でも、親父には、ある時、薬漬けで死んで
しまえ!とも言われました
でも、愛情があってのこと
本当に愛情がないなら親子でも無関心だと
思います
かく言う僕も最悪の精神状況の時、親父に
死んでしまえ!と暴言を吐きました
流石にショックだったらしいですが、
それは、親子でお互いさま、言葉の弾み、
勢いというものもあります
だから、僕ら親子はなんでも話し合います
ほとんど、喧嘩ですが、喧嘩するほど仲が
良いの典型だとおもいます
普通だったら、親子でも30年近く引きこ
もってたら、親は疲れ果てて子どもと距離
を取りたがると思います
僕も、生活保護を受給して独立する話しも
しました。
でも、物音に敏感な僕はアパート生活は
できません。25の時池袋のレオパレスで
3ヶ月友達の下宿先アパートを引き継いで
住みましたが、物音でケンカとなり隣りと
上の住人が出ていき、不動産会社に住むこ
とを拒否されました。
今なら、相手玄関で襟首掴んでしまう事は
暴行になります。
当時も警察に注意されました。
だから家で昼夜逆転の生活で人と会わず、
今よりも強い薬を飲んでて、一日中意識
朦朧としていました。僕は薬の副作用で
体重は100キロ以上、ご飯は今の半分の量
でそんなに食べませんでしたが、最高、
120キロまでいきました。背が180あるの
で暴れたら大変です。
薬のオーバードーズで自殺を図った事も何
度も
その度、両親に助けられて病院で措置され
ます、入院も何回かしました
での記憶があまりありません
時間はいい事も悪い事も忘却させてくれま
す
僕のその生活の脱却のキッカケは、
50の時のバイク事故と大腸の手術でコロナ
の時期に一年半入院した時です。
命の危険もありました。
そして、それと同時に親父の咽頭癌です。
同じ病院に同時期に入院してました
て、今、あの頃を経験したから怖いものや
不安はないと言っています。
本当にその頃の母の心境を思うと申し訳な
いと思い胸がいっぱいになります
それから、僕は退院して一年間人口肛門を
つけて、在宅でいました
事故の慰謝料がある程度入ったので眼内
レンズ手術をしてメガネの要らない生活に
そして、今、やりたい事をやらなければ死
に切れないと英語も喋れないのにLAで
ルーブル美術館やモンマルトルの街を歩い
て過ごしました
仕事するには、先ずは通勤の車が必要です
50万で15年落ちのレガシーツーリングワ
ゴンを購入しました
そして先ずは、タイミー、シェアフルで
3,4時間のアルバイトを始めます
内容は倉庫内作業、仕分け、荷物の積み込
みなど
気に入った現場は通い、人間関係で支障が
あった場合は二度と行きません
日雇いバイトで僕にはあっていました
そんなこんなを2年程送ったところで
一昨年の夏から秋にかけて心不全に2度
なり、肉体労働の日雇いはできなくなりま
す
そして、悩んだ末に体力的に楽なフードデ
リバリーのUVERを始めます。
これがいい、先ず自分の裁量でできます。
真面目に朝から晩までやれば1万五千円は
稼げます、
でも、僕は雨や強風、体調の悪い時はムリ
に働きません
もう、57です。
金はほどほどで、仕事も精神の負担になら
ないストレスにならない程度に
その代わり1日、5.6時間でも、週5日は働
きます
それぐらいが僕の精神安定性にあっていま
す
今、両親も80を過ぎ今でも親子喧嘩しま
すが、適度な刺激となっていいです
喧嘩するほど仲がいいといいます、
親父が晩酌し、相撲や大リーグの話しをし
お袋の手料理が毎日食べられる
いつ、心臓でポックリいくか分かりません
が
先の事を悲観して思い煩うより
今の生活に感謝する
日々を自分なりに精一杯笑って過ごす
これでいいんじゃないかな、と思ってます
に社会復帰した
それまでは、短期のバイト、若い頃は日雇
い仕事、運転手、土工など単純作業をして
いた。それは、協力性がない、友人がいな
かったので1人の世界が好きなことと人と
関わり合うのが苦手でストレスだったから
です。その当時は、尖ってて怒り💢っぽく
トラブルばかり起こす。
だから精神薬で抑えてました。
日常の音に敏感で、咳、物音がするとビク
ッとしてしまう。いちいちこんな事が気に
なるようでは、社会生活は送れないですね
だから、30年近く引きこもりました。
1人でいれば他人にストレスを与えたり
与えられたりする事はありません
友人もいましたが中学、高校の時の数名
の親友、あと一歳年上のバイクやサーフィ
ンという共通の趣味がある従兄弟
病気を開示してるので理解があり、それで
も僕と友人関係がある信頼のある人達です
後、この最悪の息子を見捨てなかった両親
感謝しかありません
親だからだ、と思います
でも、親父には、ある時、薬漬けで死んで
しまえ!とも言われました
でも、愛情があってのこと
本当に愛情がないなら親子でも無関心だと
思います
かく言う僕も最悪の精神状況の時、親父に
死んでしまえ!と暴言を吐きました
流石にショックだったらしいですが、
それは、親子でお互いさま、言葉の弾み、
勢いというものもあります
だから、僕ら親子はなんでも話し合います
ほとんど、喧嘩ですが、喧嘩するほど仲が
良いの典型だとおもいます
普通だったら、親子でも30年近く引きこ
もってたら、親は疲れ果てて子どもと距離
を取りたがると思います
僕も、生活保護を受給して独立する話しも
しました。
でも、物音に敏感な僕はアパート生活は
できません。25の時池袋のレオパレスで
3ヶ月友達の下宿先アパートを引き継いで
住みましたが、物音でケンカとなり隣りと
上の住人が出ていき、不動産会社に住むこ
とを拒否されました。
今なら、相手玄関で襟首掴んでしまう事は
暴行になります。
当時も警察に注意されました。
だから家で昼夜逆転の生活で人と会わず、
今よりも強い薬を飲んでて、一日中意識
朦朧としていました。僕は薬の副作用で
体重は100キロ以上、ご飯は今の半分の量
でそんなに食べませんでしたが、最高、
120キロまでいきました。背が180あるの
で暴れたら大変です。
薬のオーバードーズで自殺を図った事も何
度も
その度、両親に助けられて病院で措置され
ます、入院も何回かしました
今、思うとあの20代半ばから、50代ま
での記憶があまりありません
時間はいい事も悪い事も忘却させてくれま
す
僕のその生活の脱却のキッカケは、
50の時のバイク事故と大腸の手術でコロナ
の時期に一年半入院した時です。
命の危険もありました。
そして、それと同時に親父の咽頭癌です。
同じ病院に同時期に入院してました
母は2人の入院で死にたくなるような気持ちの辛さ
を味わっ
て、今、あの頃を経験したから怖いものや
不安はないと言っています。
本当にその頃の母の心境を思うと申し訳な
いと思い胸がいっぱいになります
それから、僕は退院して一年間人口肛門を
つけて、在宅でいました
事故の慰謝料がある程度入ったので眼内
レンズ手術をしてメガネの要らない生活に
そして、今、やりたい事をやらなければ死
に切れないと英語も喋れないのにLAで
ブルースのライブ見たり、フランスのパリに行き
ルーブル美術館やモンマルトルの街を歩い
て過ごしました
仕事するには、先ずは通勤の車が必要です
50万で15年落ちのレガシーツーリングワ
ゴンを購入しました
そして先ずは、タイミー、シェアフルで
3,4時間のアルバイトを始めます
内容は倉庫内作業、仕分け、荷物の積み込
みなど
気に入った現場は通い、人間関係で支障が
あった場合は二度と行きません
日雇いバイトで僕にはあっていました
そんなこんなを2年程送ったところで
一昨年の夏から秋にかけて心不全に2度
なり、肉体労働の日雇いはできなくなりま
す
そして、悩んだ末に体力的に楽なフードデ
リバリーのUVERを始めます。
これがいい、先ず自分の裁量でできます。
真面目に朝から晩までやれば1万五千円は
稼げます、
でも、僕は雨や強風、体調の悪い時はムリ
に働きません
もう、57です。
金はほどほどで、仕事も精神の負担になら
ないストレスにならない程度に
その代わり1日、5.6時間でも、週5日は働
きます
それぐらいが僕の精神安定性にあっていま
す
今、両親も80を過ぎ今でも親子喧嘩しま
すが、適度な刺激となっていいです
喧嘩するほど仲がいいといいます、
親父が晩酌し、相撲や大リーグの話しをし
お袋の手料理が毎日食べられる
いつ、心臓でポックリいくか分かりません
が
先の事を悲観して思い煩うより
今の生活に感謝する
日々を自分なりに精一杯笑って過ごす
これでいいんじゃないかな、と思ってます
