誰かの事を悪く言うことで、それに共感や共鳴しあって生まれる連帯感や一体感などクソほどちっさいもんである。


誰を相手に、何を相手に戦っているのか。
戦わないといけないほど、何を守ろうとしているのか。


そして、戦い方は正しいのか。






攻撃されたくないなら、攻撃をやめること。
目には目を、歯には歯をなんて残り手がゼロになったときの最終手段で、それを選ばざる得なくなった時の自分の策略の無さを恥じた方がよい。


さらに、何の攻撃もしてない相手に攻撃をしてるなら、人間力の無さを恥じるべきだ。


そんな情けない自分の周りにいるのは味方ではなく、情けない人同士の塊であることを思い知るべき。



情けないうちは強いものなど倒せやしない。
分かり合えない。
強く大きなものを倒すには、自分がそれ以上に強く大きくなる必要があるのだ。


声をあげるなら、その声に力を持たせるのは人ではない。

同じことを言っても、自分と他人では説得力が違うということは覚悟しなければならない。


説得力のある人は、自分の声に力をつける為に絶え間ない努力をしたのだ。

それを羨み『媚びを売ったんだ』などと思ってしまう人がいるなら、自分自身をクソ以下の人間と思え。


その人がどんな努力をして、どんな風に戦ったなんて誰も知るわけがない。
なぜなら、その人は本当の努力をしたからだ。


『自分たちも頑張っているのに!』と思うなら、その人たちも自分も同じように見えるだろうがそれは大間違い。

その人たちは、自分たちの見えないところでも頑張ったから上に行くのだ。

目に見えない、人の知らないところで。
毎日毎日戦い続けたのだ。


そんな人を妬み、敵と見なし、あーでもないこーでもないと言うようなちっぽけな人間にはならないでほしい。


そしてちっぽけな集団をつくり、そこで留まらないで欲しい。




ちっぽけな集団でも、それを自分の仲間だというのであれば…

その仲間を守るための力は自分でつけるんだ。
そして自分自身の力で仲間を引き上げてゆけ。