小学生はいじめられっ子
それに負けたくなくて中学でやり返したら不良と呼ばれ。
高校では恩師に出会い、学業も部活も成績良好で初めて人生を楽しむということを知った。
大学はスポーツ推薦で体育大学に入学し、全国の猛者と共に稽古し精進し、キラキラした部活動生活を送るはずが…1年の時に、先輩たちの理不尽な『かわいがり』に納得出来ず地元へ半年ほど帰ってしまった。

その後復帰はしたけれど、授業の単位も部活動も、皆とは到底かけ離れたところまで置いていかれていた。

何とか4年間やりきったけど、高校生活のように輝かしいものとは言えやしない。


そこから『人生山あり谷あり』のスパンを自分自身で勝手に思い込み、どうせ今年は…とか、今年はそろそろ…とか、運任せという名の、責任転嫁をしながら生きてきた人生だ。


それが40歳手前にして、今ようやく自分で何かを切り開こうとしていると誇れるものが出来た。

人は笑うかもしれないが、それでも構わない。
本気の、語るだけで熱く苦しくなるような夢を叶える為に走っている。

まるで青春。
嬉しい、悔しい、もどかしいが日毎に目まぐるしく変わる日々。

さっきは笑っていたのに、その数秒後に悔し涙を流していたり。
(情緒不安定と言われそうだが病んでない)


そこが平坦な場所かなどと考える必要もないくらい平坦だと信じていた場所が急に崖に変わり突き落とされたり。


そんな咲いては散って、散っては咲いての人生。


どうせいつかは枯れる。
それなら枯れ果てた姿が思い出になるより
キレイに散っていくその姿を目に焼き付けてもらおう。

そこにあったのは枯れ果てた私ではなく
キレイに咲いて刹那に散った私。



今は崖の底で傷だらけ。
頭では這い上がり方はわかっている。
ただ、少し痛みが強くて立ち上がれずにいるかもしれない。

大丈夫、それでも上は見ている。
自分が行くべき道はしっかり捉えている。
あとは痛みがとれれば大丈夫。