こんにちは。元外資系IT企業社長で現在、グローバル人材育成とグローバルビジネスに関する経営コンサルタントをしているMaxです。
私の英語のニックネームですが、本名がMasayukiで、キリスト教の洗礼を受けた時の洗礼名が Maximillian。
そして、外国人からするとMasayukiという名前は、First Nameで呼び合うには少し長すぎるので、オーストラリア映画で非常にヒットした Mel GibsonのMad Maxという映画もあり、外国人の友人の一人が、それじゃ、洗礼名もMaximillianだからMaxがいいんじゃないか、ということで決まりました。
覚えやすいし、親しみやすく、Max = 最大 という意味もあり強そうなので気にいってます。
ちなみに、私は5匹の親子のワンちゃんを飼っていますが、オスの父親犬をMax Jr.と命名しました。

(写真 抱き上げているワンちゃんがMax Jr.)
私は1982年に北海道大学工学部を卒業し、現在54歳です。
日本ユニバックから1984年に日本IBMの藤沢研究所に研究開発エンジニアとして中途入社しました。
その頃は、日本ではパソコンといえばNEC PC98シリーズが全盛で、IBMがアメリカでIBM PCとしてMicrosoftのMS DOS (Disk Operating System)を搭載したPCを発売しビジネス分野でPCが使われ始めたころです。
私の最初の仕事は、日本IBMが設計した漢字表示のできるパソコン5550シリーズに接続できるプリンターのIntel 8086 シリーズのMicro Code(Firmware)を設計することでした。
その頃のIBMは、Excellent Companyと呼ばれ、世界の中でも超優良企業と言われていました。
日本ではどうかというと、外資系企業がまだそれほど一般的ではなく、アメリカの進駐軍が日本に来た、みたいな印象があったみたいです。
IBMというとその頃よくニュースになっていたICMB (大陸間弾道ミサイル)と間違われ、兵器をつくっている会社だと思う人も多かった時代です。
大学の教授からは、「外資系企業というのは、業績が悪くなるとすぐに社員を首切りして撤退するから危ないぞ」と脅されたものです。
1982年頃は、JAL、SONY、松下(Panasonic)などが学生の就職したい企業の上位を占めていました。
もちろん、JALが会社更生法にかかり、SONY、Panasonicが今のような状況になるとは誰も想像できませんでしたので多くの成績優秀な仲間が就職していき、今まさに、リストラされて苦しんでいます。
私はというと1年留年し、成績も下位20%位でしたので、一流企業にはいけず、教授からは鉄鋼メーカーの商社にいけと言われていました。
この就職の経緯には、大波乱があり、これは、また別の機会に一つのドラマとして書きますが、結果的には、日本ユニバックという三井物産とアメリカのユニバックという(現日本ユニシス)コンピュータ会社にSE(Systems Engineer)として入社したのです。
そして、2年経過した後、日本IBMに中途入社したわけです。
研究所に入って感じたことは、周りは、有名大学の高学歴の人が多かったですね。
東大、京大、阪大、九大、慶応、早稲田の大学院卒が周りにたくさんいました。どういうわけか、北大は私しかいませんでしたね。
給与水準は一般的な日本企業よりも高かったと思います。
24歳で年収500-600万円くらいだったと記憶しています。
帰りが遅くなるとタクシーを使用してよいことになっていましたので、毎日、夜遅くまで残業してタクシーで自宅まで帰ると、なんだか偉くなったような気分になったものです。
本当にIBMに入ってよかった。これで、オレの人生は順調だと思ったものです。
その頃は、今のように若くして起業したり、ベンチャー企業に就職するような人もほとんどいなく、優良企業に入り込むことが人生の成功だというような世相でした。
Microsoftもアメリカで1981年に立ち上がったばかりで日本法人はまだ形になっていませんでしたね。
そんな中、研究所の同僚の一人が、IBMを辞め、Microsoftに行くというではありませんか。
今では、なんの違和感もないかもしれませんが、その頃、そんな冒険をする人はいませんでした。
私も周りの友人も、みんな驚き「おまえバカか?なんでそんな、どうなるかわからないところにいくんだよ」とう反応が100%でした。
思い返すと、バカは周りの我々だったわけです。
彼は、ご想像のとおり、その後、成功して大金持ちとなり、その時の常識派は、今、まさにリストラの波にもまれているのです。