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沖縄・恩納村 運転代行MAXの「ワシタ日記」

このブログでは、沖縄(特に恩納村)の情報や居酒屋など店舗の紹介、日々の出来事などを綴っていこうと思っています。

ハイサイ。沖縄恩納村運転代行Maxの―親父デービル。

昨日は定休日、お休みを頂きました。

台風の件も有り午前中仮眠を取り、
周辺を見回ったりユックリ、「チェック」して、回りました。
特段危なっかしい所無し。点検完了。

久し振りに隣のオバーちゃん覗いて見ると、
とても元気そう。
満面の笑顔で迎えて頂き何時ものお茶を出して、
頂きました。
アンシ、チャー、ソーガ?「元気で、やってるか?の意」
ウ、チャーガンバイ、ドーサイ。「はい、何時も元気で頑張ってます。」
久し振りの二人のユンタク「お喋り」が、始まりました。

出されたお茶をすすり乍、話題は台風。
2時間のユンタクを要約しますと。

オバー曰わく。「観光で来る人も、そして台風も。毎年忘れずに。
沖縄に来て呉れる。」
「私は沖縄で生まれて、沖縄で育ち、ずーと沖縄で暮らし、
やがて人生を終わるけれど、今とても幸せに思うよ」
「何時でもポークランチョミートは食べられるし!」
「注、オバーはポークが大好き」

私と同じく沖縄を好きな諸々に無愛想は出来ずに、
近くに居る内は愛想良くしていると、言う事てした。

「それじゃオバーは来年も台風来て欲しいの」と私。
「出来る事なら台風は来て欲しく無いね。」オバー。
2時間程のオバーと二人のユンタクてした。
各地に台風の被害か無い事をお祈り致します!。
 




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ハイサイ。
沖縄恩納村運転代行Maxの、親父デービル。

今や、聞く事が少なくなりましたが、私の若い頃は。
「台風銀座沖縄」と
巷で言われ、又我々もその言葉をよく、耳にしたものです。
当時は台風が発生するたびに、
かなり接近してぬけるか、
又は直撃上陸と言うパターンが多く有りました。
当時住宅は殆どが木造茅葺きか、木造瓦屋根の
おうちでした。

沖縄の昔、変換前の話になります。
米軍施設、琉球政府や公共施設、会社の建物等、
コンクリートの建物はごく僅かでした。

台風の度に被害が大きく大変でした。

沖縄では戦後の復興が進み経済力が付くに連れて、
競って住宅をコンクリートに作り変えて行きました。
結果今の沖縄の家並みです。
今や台風対策と言えば、
´庭の鉢物を飛ばされない様に納谷に片づける程度です。

七月に12号と言うのは早いペースと思い、
調べて見ましたら。
12年振りの早いペースです。
明日の夜から翌日の昼頃に掛けて通過する?
情報です。
今沖縄に滞在の県外からのお客様、
台風情報を確認しながらに成りますが。
折角の沖縄です。
何とか楽しさを見付けて頂いて、
いい旅に成る事をお祈り致します。






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ハイサイ。沖縄恩納村運転代行Maxの親父デービル。

午後5時30分何時もの様に、
万座ビーチホテルの待機場所に待機。
初仕事を終えて2度目の待機。
駐車をして待機順番をえgpsに打ち込んで準備完了。

ふと視線を水面に向けると。

「うわーきれい!」
真っ赤で大きな太陽が水面すれすれ!
まさに沈む処。
久し振りに見る、とても綺麗な夕焼けでした。

六月の中頃から忙しくなりブログは何とか、書ける様に成ったものの。
何時も疲れて帰ってくる息子いや「師匠」に、
写真のアップも教えて呉と言い出しきれず、
伸び伸びと成ったまま。

今の私の技術では手に負えずでした。
何時の日か綺麗な夕焼けを
「ブログにアップして皆さんに見て頂こう」と
心に強く誓った日てした。






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