こちらは緊急事態宣言が解除されて、少しずつ日常生活が戻っているようです。

でも、完全に収束したわけではないので、すぐには元通りにならないでしょうね。

 

5月の半ばを過ぎたというのに、今年はまだ時折、肌寒さが残っています。

それでも、今日は初夏の好天に恵まれたので、いつもの散歩~。

 

 

去年、ブロ友さんに名前を教えてもらった山法師も咲いていました。

 

 

今年みつけたのは、こちらの花。名前は知りません。

 

静かに過ごした桜の季節が過ぎて、ようやく花々に巡り会えました。

 

 

善光寺さんの本堂の前に咲いているのは、躑躅でしょうか。

それとも、さつき?見分けがつきません。

 

長野県に「つつじのおとめ」という伝説があります。

赤い躑躅の花の由来を伝える物語で、相手を思う気持ちが伝わらずに悲しい結末となってしまう、胸が痛くなる話です。

 

この話を思い出したからというわけではないのですが、最近のコロナの影響で発生している自粛警察とか、SNSに飛び交う誹謗中傷、他者への攻撃といったものは耳に入ってくると切なくなってきます。

 

私のこれまでの経験にもとづいて想っていることは、他人を決めつけ、否定する人間は、人の可能性を潰すということです。

 

人は、他人のこれまでの人生や心の中すべてを理解できない。

ましてや、未来のこともわかるはずもない。

それなのに、いったい何を根拠に人のことを決めつけ、否定するという判断ができるのだろうか。

いや、偏見や短絡的な思考でも、「判断」はできる。

でも、その「判断」を人を裁くために用いることに、何の意味があるのか。

傍から見ても、自分の権力を誇示したり、優越感に浸ったり、他人を貶めて腹いせをするためとしか思えない。

発展性もなければ、生産的でも建設的でもない形で人に関わっても不毛なだけ。

自分の主体的な行動や自分の人生において判断し、責任ある生き方をしているのなら、まだ理解できる。

誰もが我が道を突き進めるほど強いわけでもないのに、足を引っ張り合い、可能性を潰し合っていることに心が痛む。

 

私は、支え合って少しでも安心して心豊かに生きていけるように、自分ができることを考えたい。

できるのなら、未来の可能性を示してやることができるようになりたい。僅かでも、希望とか幸せとかをもたらすことができるようになりたい。

今は何の力もないけれど…。