私は京都が好きです。
もともと歴史が好きで、史跡や神社仏閣を巡るのが好きなんですけど、京都はいつ行っても、何回行っても飽きません。
京都はどの季節に行っても、自然と歴史的建造物が調和してきれいだし、心が癒されます。
そんな京都好きの私が、最近読んだ本
『京都ぎらい』 井上章一 著
朝日新書
京都ぎらい (朝日新書)/井上章一

¥821
Amazon.co.jp
この本、京都の嵯峨に生まれ今は宇治にお住いの著者が、京、特に洛中の中心街に対する反発心をもとに書かれています。
著者曰く、洛中の京都人には、同じ京都市でも昔の洛外である嵯峨や山科に対しては差別意識があるのだとか。
そして、嵯峨生まれということで差別意識を植え付けられた著者が、プライドの高い洛中人士や、世俗にまみれたお坊さんのことなど、千年の都の裏の姿(?)を描いています。
読んだ感想は、違う京都の一面を見ることができて、おもしろかったです。
でも、京都は嫌いになれないな。
観光で行く限りでは、京都の嫌な部分は見えないものでしょう。
そして、嫌なところを知ったところで、旅行者の私が不愉快になることもないと思います。
長野に住んでいる私など、京都の人から見れば田舎者であることも重々承知してますし、都に憧れて旅することを馬鹿にされても、「それが何か?」って感じですね。
そうです、私は、無責任な観光客でしかないのです。
こう書くと、無責任な奴が「京都が好き」なんて言うなってお叱りを受けそうですが、残念ながら、私は観光客以上の者になれませんので、京都に対する憧れは変わりません。
また、京都のそんな一面を知ったからといって、私に京都を否定する資格なんてありません。
これからも京都を訪ねては、四季折々の美しさを堪能するばかりです。
実は昔、京都に移住する夢も持っていました。
もしかしたら今後の人生でも、あり得るかもしれません。でも、そうなったって、やっぱりよそ者なんですよね。
ならば、私にできることは、京都を楽しむことです。
美しい庭園、春の桜、秋の紅葉、夜間ライトアップ……。
どんなにお寺が俗化しても、そこには歴史の面影、日本文化の美しさが息づいています。
だから、嫌な部分もあったって、いいんです。
例えば、人を好きになったとき、好きな人に嫌な部分があるからといって、それだけで人を嫌いになるかというと、私はどうも、そうじゃないです。
その人の良いところ、悪いところ、全部含めて受け入れる。
京都に対してもそんな感じかな。
おっと、話が脱線してしまいそうだ。
というわけで、今日はこの辺で…
おやすみなさい。
m(_ _ )m
もともと歴史が好きで、史跡や神社仏閣を巡るのが好きなんですけど、京都はいつ行っても、何回行っても飽きません。
京都はどの季節に行っても、自然と歴史的建造物が調和してきれいだし、心が癒されます。
そんな京都好きの私が、最近読んだ本
『京都ぎらい』 井上章一 著
朝日新書
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著者曰く、洛中の京都人には、同じ京都市でも昔の洛外である嵯峨や山科に対しては差別意識があるのだとか。
そして、嵯峨生まれということで差別意識を植え付けられた著者が、プライドの高い洛中人士や、世俗にまみれたお坊さんのことなど、千年の都の裏の姿(?)を描いています。
読んだ感想は、違う京都の一面を見ることができて、おもしろかったです。
でも、京都は嫌いになれないな。
観光で行く限りでは、京都の嫌な部分は見えないものでしょう。
そして、嫌なところを知ったところで、旅行者の私が不愉快になることもないと思います。
長野に住んでいる私など、京都の人から見れば田舎者であることも重々承知してますし、都に憧れて旅することを馬鹿にされても、「それが何か?」って感じですね。
そうです、私は、無責任な観光客でしかないのです。
こう書くと、無責任な奴が「京都が好き」なんて言うなってお叱りを受けそうですが、残念ながら、私は観光客以上の者になれませんので、京都に対する憧れは変わりません。
また、京都のそんな一面を知ったからといって、私に京都を否定する資格なんてありません。
これからも京都を訪ねては、四季折々の美しさを堪能するばかりです。
実は昔、京都に移住する夢も持っていました。
もしかしたら今後の人生でも、あり得るかもしれません。でも、そうなったって、やっぱりよそ者なんですよね。
ならば、私にできることは、京都を楽しむことです。
美しい庭園、春の桜、秋の紅葉、夜間ライトアップ……。
どんなにお寺が俗化しても、そこには歴史の面影、日本文化の美しさが息づいています。
だから、嫌な部分もあったって、いいんです。
例えば、人を好きになったとき、好きな人に嫌な部分があるからといって、それだけで人を嫌いになるかというと、私はどうも、そうじゃないです。
その人の良いところ、悪いところ、全部含めて受け入れる。
京都に対してもそんな感じかな。
おっと、話が脱線してしまいそうだ。
というわけで、今日はこの辺で…
おやすみなさい。
m(_ _ )m