~前回からの続き~

目を開けると砂埃がすごかった。

あ、俺生きてた(・∀・)くらいな感覚だった。

一応意識は失ってないつもりだけど、そんなこと誰が

わかろうか。体が自由に動く。とりあえず、外に出た。

すると遠くから人が近寄ってきた。何か喋っているが

聞き取りづらい。少し耳鳴りと言うか、耳が遠いと言うか、

とにかく聞き取りづらかった。どうやら通報した

みたいだったが、自分はレンタカー会社でのことを

思い出した。ケチって保険何か入ってなかったのだ。

個人的に入っている保険も車事故はカバーしていない。

彼女はまだ通報から電話を切っていなかったから、

電話を変わり、自分の状況を説明した。

まさに今まで勉強してきたことだった。内容も前日の

実技試験とほとんど同じだった。

英語で状況説明は面倒だったが、冷静にできた気がする。

車から火は出ていないけれど、ガソリンらしきものが

もれている。

とりあえず高価なものなどを引っ張りだそうとした。

幸いパソコンやカメラは生きていたが、まるで夜逃げの

ように投げ込んであった荷物はぐちゃぐちゃだった。

しばらくすると救急車と消防車、パトカーが続々来た。

自分はボードに乗せられて固定された。

全て勉強してきたことだ。

状況説明はそれから何度もした。

そして、俺は財布などを持ってきてくれとしつこく

言った。それがなきゃ俺は帰れないのだ。というか、

俺は筆記用具などを除いて、アメリカで持っている

ほぼ全ての荷物を持ってきていたから、それらを失うと

困るのだ。

結局、カメラ、現金などを何とか救命士にかばんから

見つけさせ、自分は病院へ搬送された。

治療は一切拒否した。本当は搬送も拒否したかった。

でもそんなド田舎で車を失った自分は身動きが

とれない、仕方なかった。

搬送中は救命士とずっと喋ってた。暑くて喉がカラカラ。

でも水もくれなかった。点滴しようとしていたけど、拒否。

アイスパックを肩に当ててくれたが、それでいくら

したかはわからない。

病院まではけっこう時間かかったんじゃないかな。

話しているうちに、自分は目的地まであと1,2分の所

だったと聞かされ、しかも救急車で通り過ぎたとも

言われた。これには凹んだ。

病院に着いても色んな人に何度も何が起きたかを

聞かれ、何度も同じことを答えた。かなり南の方に来ている

からメキシコ系の人も多く、俺の英語の発音の方がまだ

マシだわ!って感じもあった。

一瞬ドクターが来て体を強く押された。骨折などの

チェックだ。正直痛かったが、それは打撲の痛みだったから

痛みなんかねぇと言い張った。そしたらレントゲンを撮ると

言われ、待つことになった。春学期の終わりに撮った

ばかり、その前に撮ったのは年末、、、ちょっと嫌だった。

かなり待たされた。。。何かの専門看護師か医者が水を少し

くれて、少し楽になった。

散々アラームが鳴ったけれど、自分のバイタルサインは

現場にいた頃からずっと正常値だった。

なんだか保険のことを聞かれたりもしたが正直覚えて

なかったから、後で教えると伝えた。

しばらく待って水をくれた人が戻ってくると、帰っていいよ

って言われた。嬉しさ半分、これからどうすりゃいいって感じ

半分。彼に助けを求め、まずどうすりゃ荷物回収できるかを

聞いた。すると受付近くのフリーの電話を案内してくれて、

まずは州のハイウェイパトロールに電話。すると、よく

わからん場所の名前を言われ必死にメモをとる。

知らない街でスペイン語が混じっているからたまに戸惑う。

教えてもらったところに電話。うぅ、聞き取りづれぇ。

まだ耳の様子がおかしいのもあるし、電話は嫌いだ。

午後5時までやってるから回収した車が見たけりゃ

早く来いと言われた。なんとか住所をメモし、

問題はそこまでどうやって行くかだ。

まず自分の居場所がわからん。病院の名前を聞き、保険の

ことは後日どうにかすると伝え、タクシーの番号やら近くの

空港の番号、住所などを聞き、車に置いてきたと思って

いたケータイがポケットに入ってたから、その夜

泊まるつもりだったルームメイトの人に電話、大家さんに

も電話。一通りやることを済ませ、ジュースを買って

タクシーを待った。

体は動くが鏡を見たら頭にアザというか血というか、

痛そうな事故の跡が残っている。暑いし、一日風呂に

入っていないから少し汗臭い。見た目は最悪だ。

タクシーが来ると、都心で見るタクシーとは違って

ひどくボロイやつだった。運転手はメキシコからの移民で

自分よりひどい英語を話す。ラテン語も聞き取りづらい。

どこに行くんだと聞かれ、名前知らないから住所を教え、

車が回収され保管されているところに向かった。

目的地に着いたのは閉店数分前。遅れてたら俺はその

日どこに泊まって何をすればいいかもわからんかった。

回収屋のおっちゃんの英語もひどく聞きづらかった。

運転手は俺より喋れないし困ったもんだ。

何とか話が通り、車を見せてもらった。

まぁひどく潰れてたね。後部座席のドアは開かなかった。

回転したと思ったけど、回転した時に残る典型的な

跡が見当たらない。おかしいな。

まぁいいか。

車内を見渡すと・・・というより、体をねじ込ませて

見ると、荷物が散乱している。さて、どうしたものか。

とりあえず全部荷物を出すことにした。

全部砂っぽくなってる。

全部出し終わった後、いらないものはその場に残すか

運転手にあげて(水や服、靴など色々)

あとはタクシーにぶち込んだ。そこからサンディエゴの

空港まで行くつもりだったけど、運転手に家近いの?

と聞いてみた。シャワー浴びたかったのよね。

そしたら近いって言うから、お願いして家に寄って

もらった。家からはお子さん、いやお孫さんが出てきて、

スペイン語で自己紹介したら英語で返された(笑)

んでシャワーを借りようとしたら・・・レバーというか、

ノズルというか・・・うまく回らない。先ほどの

お孫さんにお願いしたら・・・ぶっ壊れたwww

メキシコからの移民の多くが裕福ではないことは

知っている。本当に申し訳なかった。

台所でバケツいっぱいに入れたお湯を2杯持ってきて

くれて、自分はそれで体を洗った。欲を言えばもっと

欲しかったけど、言えなかった。

浴室から出ると運転手のお母さん?おばあちゃん?が

いた。もちろんラテン語しか喋れない。でも言いたい

ことはなんとなくわかる。俺も忘れかけてた

スペイン語でどうにか感謝の気持ちを伝えた。

彼らにとって自分は初めての日本人。ちゃんと

礼儀正しくしたかった。

時間がなかったから急いでタクシーに乗り、

サンディエゴの空港まで向かった。

距離的にはおそらく180km、2時間の距離だ。

外から見る景色はすんごい綺麗だった。

建物1つない視界には大きな山々があり、太陽が

赤さを増しながらその後ろに沈んでいく。空は透き通った

青からオレンジへ。こんな綺麗な景色見たことない。

残念ながらカメラをトランクに入れてしまったから

写真に撮れなかったけど、運転手と一緒に綺麗だねって

話してた。言葉の壁はあったけれど、感じていることは

同じだっただろう。

自分はさすがに疲れたから少し寝た。

サンディエゴ近くになり、途中でタコベルに寄って

軽い軽食を奢ってあげた。それくらいしないとね。

お金払ってても。そして空港に向かった。

空港に着いてあっさりお別れしてしまったけれど、

仕方ないよね。彼は家族との夕飯もとらずに

運転してくれたんだから。家に帰ったらおそらく

夜11時過ぎだろう。

さて、自分は空港に着いてまずはバラバラの荷物整理。

このままじゃ飛行機に乗れない。その日に帰っても

よかったのだけれども、昔語学留学していた時の

友達に会いたいってのもあったから連絡を待った。

できるならそこから旅続けたいのもあったしね。

荷物整理をしつつ、両親に電話したり、パソコンや

カメラのダメージを確認した。

そんなこんなしてたらもう夜11時くらいになってた。

くそ重い勉強道具を宅配便で送りたかったけれど、

そんなもんないよって言われてしまった。

なんとかバッグパックに詰め込んで、24時間

やってるスタバへ。すんごい腹減ってたから

高いけどサンドウィッチを食べて、電源が近くに

ある席に座った。

しばらくしてそこでパンツを変えたのはここ

だけの秘密。シャワー浴びた時に替え忘れたのよね。

何故トイレで着替えないかって言ったら、でっかい

バッグパックと他の荷物があるから、それを汚い

トイレに持ち込みたくないし、盗まれたくもないから。

そこでどれだけの時間を過ごしただろうか。

早朝まで友達からの連絡を待ったけど来なかったから

航空券を予約。んで荷物を預けに行こうとした。

まぁここでひどかったのが、チケットカウンターが

すんごい並んでて、国内線はあっちだよって

言われたから、言われたところに並ぶとすぐに荷物を

預けることができるようになったけれど、金とるのよね。

まぁいい商売だわ。んで機内持ち込みの荷物のことも

人によって言ってることバラバラ。これはだめだ、

あれはだめだ・・・困ったもんだ。

全員ラテン系のバイトだろう。信用できないから

社員らしき白人に聞くとすんなりOK。さっさと

機内持ち込み検査に行った。パソコン2つ持ってたから

時間かかったけれど、なんとか検査も済ませ、飛行機に

も乗れた。んで朝の6時過ぎ、サンディエゴを去った。

機内ではもちろん寝た。


なんとか見慣れた空港に着き、大家さんに連絡。

旦那さんが車でダウンタウンまで迎えに来てくれることに

なった。どれくらいで着くかを伝え、自分は電車に

乗る。こんなアジア人でも道を聞いてくる欧米人はいて、

親切に案内してあげた。

電車を降りて、ケータイをチェックすると着信と

メールが来てた。

旦那さん帰っちゃったって。

えぇーーーー。どうやら30分待ってたらしい。

いやいや、帰る時間伝えたやん。

がっかりだわ。

そこからバスに乗れるような荷物じゃないから、

仕方なくタクシーを拾い、独りで帰宅。

家に着くと大家さんの娘さんがいた。

そうか、まだいたのか。

でも心配してくれて、残り物のご飯と言うか、

レトルトで軽食を出してくれた。

少し落ち着いて、

荷物を全て部屋に持ち込み、その日から

数日は荷物を放置してた。

こうして、自分の旅は達成することなく終わってしまった。

続く・・・