先日、私自身体調不良なのに(25年前に)治療院を始めたという話しを告白すると、「なんと無責任な。」と言われてしまいました。確かにそう言われてみればそうです。

私は「正直」という名前を付けられてしまい、それはそれは正直な少年だったのです(笑)。不得意な英語で初めて80点を取って褒められた時も、自分で計算してみたら78点だったんです。で、先生に点を修正してもらった時には、何とも言えぬ悲しさを味わいました(笑)。

さて、そんな私は20才位から(多分事故の後遺症で)身体の痛みで苦しむようになり、数年後多くの希望を捨てました。でも仕事はしなければならず、バイトを探しました。
やけになっている部分もありましたが、鍼灸学校に入ろうという漠然とした希望があり、ある程度以上のお金が欲しかったのです。

気がめいっていたので開放的な仕事がしたくて窓ガラスの清掃員になろうとしたのですが、背が低いということで一件目は不採用で、二件目は何とか入れてくれました。だから感謝感謝でした。
元々不調の身体で危険作業をしたので、身体は悪化の一途をたどりましたが、何とか鍼灸学校に入るお金は手にしました。

鍼灸学校の試験は酷い試験で、多分日本史は零点に近かったです。しかし、気を取り直して面接に臨みました。面接室に福沢諭吉の言葉が有ったのでそれをちょいと借用したんです(笑)。私は本当は身体が痛くて手足も硬くなり自由に動かなくなっていたのですが、「自分は健康で幸せなので、人々のために尽くしたい。」などと全くの嘘を言って合格させてもらいました。感謝感謝です。

鍼灸学校三年の時に癌の代替医療のクリニックにマッサージ師として就職しました。手がまっとうに動かないので、通常のマッサージなどは本当はできなかったのです。でも癌の患者さんならギュウギュウ揉む必要もないし、何より自分よりずっと辛い人を相手にしていれば、何とか頑張れるんじゃないかと思っていました。
しかし投げやりな気持も半分だったので、就職面談の時に履歴書に写真も貼らず、クリニックの事務室で糊をかりて貼ったので、ずっと笑いのネタにされました。ここでも調子のいいことを言って採用して頂きました。感謝感謝です。
でも、手は早晩使い物にならなくなり、師に泣きついて、師の治療のお蔭で、やっとのことで仕事を務めました。

こんなインチキなマッサージ師でしたが、クリニックをやめる時には、何人かの患者さんから温かい言葉をかけてもらいました。感謝感謝です。

嘘で固めた人生ですから、仕事に対しては不平を言ったことはない(つもり)です。やらせていただけるだけで有り難いと思っています。

50を過ぎてから身体の痛みで苦しまないようになりました。治し方を習得したのです。有り難い限りですが、もしかしたら、却って人様並の不満が出てきて感謝を忘れるかもしれません。

背に腹は替えられず嘘つき人生に転落した私ですが、これからはできる限り嘘をつかず、本心から他人に尽くせる人生であって欲しいです。

そしてできうれば心から感謝して死んで行きたいものです。