訪問先の奥様に西行が晩年に桜の下で死にたいと歌った歌について問われた。
調べてみると、
ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ (山家集)
ねかはくは はなのもとにて 春しなん そのきさらきの 望月の比 (続古今和歌集)
だった。
私は高校を出て何をして良いかわからず、とりあえずお金を得ようと思い、期間工として働いたことがある。
浜松のホンダ技研で働いたのだが、休日に浜名湖まで歩いてみようと思った。
そして、浜名湖の辺で西行の詩とであった。
舘山の 巌の松の 苔むしろ 都なりせは 君も来て 見む
この歌だった筈だが今は実感がない。
当時の自分には、寂しさしか湧かなかったのだ。
後に聞いた歌では、
下りたちて 浦田に拾ふ あまの子は つみよりつみを ならふなりけり
が印象にのこっている。
ツミと言う名の貝があり、子供が海辺でそのツミを拾うことによって罪(殺生)を習う.。
戯れか食べるためか、無邪気な行いの中にも罪を作らねばならない人の性を歌ったものなのだろう。
訪問先の奥様は、白州正子さんが好んだという
春風の花をちらすと見る夢は 覚めても胸のさわぐなりけり
にも思い入れがあったようだ。
覚めても胸のさわぐなりけり・・は、多分、「悟っいても情緒的に感じるものもある。」という意味だと思う。
むかし、禅の高僧が弟子の死を嘆き悲しむのを見て、他の弟子がこの高僧は本当に悟っているのかと訝ったという話しを聞いたことがある。
確か高僧は心は動いていないのだが、自分の情緒的な部分が泣いているのだと言ったような気がする。
私も(全く悟っていないが)高地である音楽を聞いてどうしようもなく泣いたことが有った。
心の中心は全く冷静なのだが体が泣いたのだ。
つまり、高僧のような現象は有り得ると思っている。
しかし、なぜ西行は有名なのか?いまひとつわからずにいる。