表題はMetallicaの1986年発表の
Candyからの投稿
アルバムから。
僕は時にフラフラと旅のように
色んな土地や場所を散歩します。
それは色々な場所にいる"達人"に
会ってみたいしお話を伺って
みたいという楽しみのためです。
僕の考える達人という存在は
モノづくりにおける達人のことです。
野菜だとか果物だとか花だとか
木工だとか漁とか色々なモノ
ありますがそういうものです。
そして達人という存在は僕は
シチュエーションの数だけ
存在するものだと思ってます。
つまり場所や気候や様々な要素か
異なるわけですからそれだけ
達人は居るものだ、と。
例えば大阪のお天気のことは
ロンドンに居る大阪の天気に
興味持って関わっている人より
大阪で日々暮らしてる人が
やはり一番詳しいでしょう。
そういう考えと同じです。
何故僕はそれを好むのかという
一番大きな理由になるものは
ホントの達人であるほどに
人間としての生き方が素朴で
ナチュラルで自分から会いに
行かないとその真髄には
決して触れることができないのです。
もしそれがビジネス絡みの達人
ならば自分が自宅に居ても簡単に
出会い知ることはできますでしょ。
ネットなりテレビなり雑誌でも。
そのような達人も素晴らしいとは
思いますが僕が必要とする達人とは
まったく趣きが異なるものです。
例えばメンタルの達人なんて
一番曖昧で無責任なものです。
メンタルなんて結局は生きてる
人それぞれで自分の感じ方次第で
他人にはコアな場所は不可侵な
場所だからです。
自分で自分を真剣に見ていたり
キチンと等身大の評価ができて
時空を大切に生きようとしたら
難しいことではないからです。
自分が自分で考える達人を
自分の足で探して見つけて
あくまで自分は一人のただの
通りすがりの旅人として
一期一会の機会に触れるのです。
それはそれぞれの技術に触れる
ものではないといえることかも
しれません。
自分は同じことができないからです。
侘び寂びといいますか心意気と
いいましょうか達人の持つ彩りから
自分自身の心を豊かにしてゆく
時空のエッセンスにしたいなと
時にフラフラと散歩するのです。
それはまったく無駄な時空には
なりません。
ただの人間の一人として人間に
真剣に向き合い純朴にお互いの
精神で会話することのできる
立派な自然な茶席のようなもの。
僕はそんな機会が大好きです。
たった一つだけの心から心への
お土産を得ることができる
一番身近にできる一期一会の
魅力に溢れた旅ですからね!
Candyからの投稿