今から4-5年前から私は世の中の
あらゆるモノゴトに対して
飽和や食傷な感覚を強く抱いて
その喧騒やカオスとの距離を
遠ざけて心の豊かさやお洒落さの
彩りをシンプルに感じる時空を
恒常的に日々に存在するように
クリエイトしてゆける唯の人間に
なりたいなと感じて今まで来ました。
それだけ物欲やいろんな欲が
そうできるくらいには満たされたと
いうことなのかもしれません。

多分私はコンピュータ技術に関わり
仕事した時間が長かった人間ですから
何かを感じはじめた頃、もうすでに
その時の技術で人間の日常生活に
於ける不便性はほぼ解消されていると
納得した時だったのでしょうね。

今は手元に小さな筐体一つあれば
殆どが事足りてしまいますよね。
地球の裏側で生きる人々と姿を見て
話もできますし手紙もすぐ届く。
聴いてみようか観てみようかと
感じた音楽や映画が家の外に足を
運ばなくともマウスでクリックで
自分のパソコンに入っている。
選ぶのに困ったりイヤになるほど
商品やその宣伝に溢れている。
ストレス感じたり不満あれば
SNSだとか掲示板の書き込みで
見ず知らずの不特定多数へと
感情の毒を吐いちゃう人も居る。
ちょっと例にとっただけでもほぼ
何不自由ない人間の日常なわけです。

不便な状態ならば便利を求めて
人は創意工夫を重ねていきますが、
便利な状態ならば不便を補ってきた
人間本来が持つ何かを失ったり
足りないコトを思い知らされる、
今はそんな岐路にあるのかなぁと
私は日々感じて生きています。

そしてそれは創造性や革新性が
枯渇しはじめていることなんだと
知るのです色んな商品や作品から。
それでも、こんな便利で充足の
中に過ごしているにも関わらず
あれもこれもどうでしょうと
不便な時代の物的環境のまんまの
勢いでモノゴトを無理やりな
感じでも売り込もうとしてきます。
モノが満ち足りて不自由ない人。
利益や名声の為に無茶をする企業。
もはや無意味に近いシーソーゲームを
沢山起こすことで生き残ってゆく
理由を示すしかできなくなっている
満腹でデザートが入らない世界です。
そんな世界に何がそうしたの?、と
なると沢山企業自身の欲の業の
用意した結末なんじゃないでしょうか。

モノゴトが幾ら進歩したって
人類史が始まってから人間という
生物のメカニズムは殆どなんにも
進化していないんです。
ハイブリットカーのように
心臓が二つあって使い分けられる
進化をしてきたわけではないし
太陽光から血液が作れている
わけでもありません。
機械と同様のクオリティの
持続力や正確性もありません。
鳥や魚や野生動物のような
鋭い身体能力や反射性が
進化したわけでもありません。
モノゴトに対面して扱う上では
人間はデジタリアンですけれど
人間自体はアナロギストなんです。
感情というテクノロジーからは
支配できない司令を発する
生物としては最高精度の脳の
存在と潜在脳力のおかげで
社会になってきたのですから。

逆に不便を生きた先人達の
英知や努力の積み重ねの賜物で
現在まで導かれ辿り着いたものの
脳のパフォーマンスは低下して
革新や創造を生み出すための
印象的な試行錯誤や失敗でさえ
少なくなってしまっています。
物的環境の普遍だけが技術で
向上してしまっているような
チグハグさの中に居るのです。
計算高さだけは進化して。

今を生きている人間がこんなコト
言うのも変な感じなんですが、
私はずっと前から今みたいになった
世の中に触れてきてものすごく
満腹だし退屈さと殺伐な風景から
呆れて飽きての自分が居るんです。

逆に大昔の先人達のほうが
不便だったかもしれないけれど
大切なコトだけ知り幸福な時空を
生きたんじゃないかなと時々
感じたりもしています。

大人の男は狩りに出かけて
大人の女は住処を護り
子供達は大人や自然と学び遊び
色んな動物と戦い共存し
自然や天災から恵みと試練を知る
そこにはそれだけでも
人間のシンプルな生きる術があり
不便を解決するのも自力の世界
他人同士を分け隔てる感覚さえ
限りなく少なかった時代。

デジタリアンには大昔の
アナロギスト達のほうがよっぽど
効率的で効果的でシンプルに
地球生活を楽しんでいたように
感じちゃうんです。

そう思うと圧倒的なスペックで
モノゴトを処理してゆく
コンピュータの存在でさえも
彼等の仕事の大半はホントは
人間に不必要なモノゴトを
処理させられるための存在だと
考えさせられるような気がして
不思議なものです。

やっぱり人間というのは何でも
先ず無から考えたり動くのが
一番楽で自然なあるべき姿だと
私は特に感じて生きていますね。

勿論こんな世の中に進化したら
テクノロジーは欠かせません。
ただいつまでも依存しないで
五感から感じ取れるような
人生を大切にしたいと思います!

Candyからの投稿