メルマガに、またまた素敵なご感想頂きました〜泣


女性性ってなによ??

感じるってなによ??


あるいは

もっと女性性を活かして、自分好みの人生にしたい!!

お金ザクザクほしい❤️


という方は

ホント、メルマガ読んでほしいなー



ご感想くれたMさんのように、

素直に、まっすぐに

カラダを感じてみてほしいです❤️

トリートメントで髪蘇った…泣
梅雨ゆえに速攻でクルクルになるけれど(笑)
美容師さん、いつもありがとう。




「え?メルマガってカラダのことでしょ??

カラダじゃなくて

・ビジネス
・お金
・願いの叶え方

を語ってよ!」


と思うかもしれないけど



オンナは

カラダを置いてけぼりにしてたら

ビジネスもお金も

絶対循環しません!!!



もうコレ、大事。

超大事!!!!



むしろ、ココロとカラダに素直になれば

お金もビジネスも、人間関係も恋愛も、健康も


ぜーーーーーーーんぶ

巡るんですよ❤️



だから、カラダ抜きに女のキラキラ人生を語るなんて、不可能なのです❤️




ご感想はこちらです❤️
↓↓↓

■メッセージ

まあいさん、メルマガありがとうございました。

今日の卵巣の話では涙が出ました。

卵巣はもう一人の私だったんですね。




オンナとしての本質的な願い、献身的であることをダメだとしていました。

だから苦しかった。

思考する脳と、やってあげたいと望む卵巣を常に敵対させてました





最近自分を満たす、というワードが世に多く出回っていますが、

こを否定するのが本当の女性性否定、という言葉が腑に落ちました





私はアラフィフでもう閉経しているし、子供も産んだことがないの

(生理は軽いほうで婦人科系の病気もしたことがありません)

宮に対して毎月生理が来てくれていたのに生むことが出来なくてごめんね、

と謝ったことはあります。





アロママッサージも好きで自分でよくやるのですが、

子宮に話しかけながらすることはあっても卵巣には一度もそんな言葉をかけたり、

マッサージしたことがなかった。それはそこにずっといてくれていたのに、

見ることも感じることもしていなかったのです。






早速今手をあてて謝って、今までありがとうと話しかけました。(今は朝ですが)



長文失礼いたしました。


改めて大切なことを気付かせてくれてありがとうございました。


T.M様
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Mさん、ご感想本当にありがとうございます…!!!


ほんと、メルマガに寄せられる感想って、

素晴らしすぎて

言葉の奥にある、皆さんの「魂のキラキラ」を感じて


もうもう

涙がドバーーーーー笑い泣き

です。


今日は息子の誕生日です❤️眉毛たくましいw



子どもを産まなかったこと


自分自身に対し負い目というか、申し訳ない

と感じている女性は多いですが


違うんですよ!!!!



もちろん子宮と卵巣は

子孫を増やす
子どもを産む

そういう機能もありますが。



それよりも!!!!

一番大事なのは

子宮と卵巣が望んでいることは

あなたに
生きていてもらうことです。


健やかに。

あなたらしく。




それができた上で、愛する人ができて

子供が生まれたら、それはそれで。

そのために働くだけ。


まずは生きること。

あなたを生かすこと。


それができていたのなら、内臓は
カラダは、本望なのです。






頑張りすぎて

子宮筋腫になる方もいます。

悩みすぎて、自分を責めすぎて
卵巣嚢腫になる方もいます。


その結果、子宮や卵巣を、摘出せざるを得ない人もいます。


そして、その結果を、ものすごく後悔して

また自分を責めてしまうこともあると思う。



でもね!


自分の行いを責める前に、知ってほしい。


子宮と卵巣が、代わりに死んでくれた。

ということを。




子宮と卵巣が、身代わりになってくれなかったら

一番大事な「あなた」が死んでしまったかもしれない。



それならば、自分の命を捧げよう。


そうやって、私たちは、

いつも守られているのです。





身を挺して
命を捧げて

誰かを守ることは

「犬死に」ですか??

「無駄なこと」ですか??




それは傍観者のセリフです。


当事者は、そんなこと思わない。




精一杯大事な人を守れた。

そこに意味がなかったとしても。



そんな誇りを、持っていてもいいじゃない。


その事実によって、誰にも褒められず
自分しか納得出来なかったとしても。





カラダの細胞ひとつひとつが

私たちのことを思ってくれている。


大切に守ってくれている。



だからこそ、無理もできるし

犠牲にすることもできるし

大切にしよう、とも思える。



どんな結果になったとしても

カラダはどんな瞬間も

命を全うしてるのです。





そのうえで、わたしは、

彼らの頑張りに報いることができるような

自分に胸を張って生きられるような

そんな生き方がしたい、と思うのです。






この瞬間も、私を守るために

どこかの細胞が死に

新たに生まれています。




それを、無駄と呼ばせてなるものか。


そんなの当たり前、と軽視してなるものか。



私自身が、その命の営みを

知っていたら、感謝できていたら

それでいい。




私たちはいつも守られている。

命の犠牲の上で、自由に、好きに生きることができる。


そしてそれを、重苦しく感じなくてもいい。


犠牲=重い

も、ただの設定。



犠牲とは、わたしにとって、踏み台のように
限りなく「愛と感謝と尊敬」のある言葉です❤️

その勝ち負けまみれの設定をニュートラルにしたら

私たちはもっと

わたしらしく、

自由に生きられるのだ❤️





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