なぜ「嫌われてもいい」と思うのか??

さきこさんとの食事会をキッカケに、色々と感じるところがあったので書いています(^^)

こちらの続きまあい的嫌われる勇気



この記事を書いていて気がついた。



私の「嫌われる勇気」の奥にあったのは

「誰のことも嫌いになりたくない」

「好きでいたい」

っていう、私の本当の望み


綺麗事すぎる?善人ぶってる?

だけど、本当のこと。



私は誰かと仲良くなったり友達になるときに

「その人がどんな人で、何を言うか」ということより、その奥の「魂」をみていたい。



だから勝手に、深く繋がりたがるし、相手もそうだと、錯覚してしまう。




だけど、表面的なところで

違和感を感じると

その深く繋がった魂も、分離して無くなってしまう気がしていた。


だから、「嫌い」という感情を幻だと思いたかった。


誰かを嫌いになるときに、スッキリするけど
ズキンとするかんじ。


決別する!一生会わない!と決める時、

その時は本当に嫌な気持ちになっているから

その気持ちをちゃんと行動にも移す。


ブロックしたり、連絡先消したりしてスッキリ。

だけど、数日経つと、なんだかまたズキズキする。


他になんかいいやり方なかったかな?

やりすぎかな?

私にもダメなところはあったよね。。


って心配になったり


そうはいったってあの人が悪いんだから!

私だったら絶対大事な人にあんなことしない!

あれだけのことをされたのだから嫌いになって当然!


と自分の心をなだめてみたり。



それでも、やっぱり「離れて良かった」と思う風通りの良さは本物で。


いつだったか、嫌いな人のことでやきもきしてる時

「私、嫌い!って言いながらめっちゃその人のこと考えてるじゃん…」

「気にしない!っていって、めっちゃ気をかけてるじゃん…」


あぁ、好きと嫌いは同じなんだな。


と腑に落ちました。




好きになるエネルギー、嫌いになるエネルギー。

違うのは感情だけで

エネルギー的にはおんなじ熱量だ。。と。






そう思えたら、怒りやモヤモヤが混ざったような、ぐるぐるした気持ちが

スーッと細胞に溶けていった。




それは、じゃあ言動を許して好きになる、仲直りする、とかではなく

大嫌いなままで。




「気にかけたい」「気にしていたい」と自覚したら、その人との関係を修復する、とかではなく

自分自身が「このままでいいや」と思えた。



その時

「安心して、嫌いになろう」

という言葉が出てきたのです。




それがどういうことなのか、その時は
よくわからなかったのだけれど


認定講師講座とセレンディピティセミナーでさきこさんが教えてくれた図で

カチッとハマりました。



なんか文字制限でアップできないので、続きます!