茶と工芸品の素材について | 飲水思縁〜台湾華語・台湾茶人文教室準備中

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飲水思源とは中国語の四字熟語で、
水を飲んで、その源に感謝の気持ちを抱くということです。

お世話になっている日本で、
生まれ育った台湾の良さを伝えていくことをライフワークにしています。

あっという間の2019年春です。来日して7年目に突入して、日本の年号の平成も終わり、もうすぐ令和になります。

 

思えば様々な活動で充実な6年間を送った私ですが、博士課程も折り返して、そろそろ博論を本格的に取り込まないといけなくなっています。

 

先日、一氾文学会学会誌『氾文』創刊号の特集「銀」に「明代茶書にあらわれる銀器について」という原稿が掲載されました。発表論文を除いたら大学院で公開した2本目の論文となります。茶淹れ活動の気持ちも入っており、論説として不十分な原稿なので、論文と称するには語弊がありますが、茶の道を歩きたい意志を新たに整理できた点においては自分を満足させた仕事でした。

 

 
 ▲上記論文で言及した石黒光南の銀器急須。
 
この記事は論文の補足ではありませんが、常に自分の中にある問題意識の整理として考えていきたいと思います。
 
本題に入り、論文で陶・磁・錫・銀・銅・鉄を茶書にあらわれる材質として列挙しました。特集のテーマと重なり、銀を取り上げたのはもちろん一つのきっかけですが、もう一つの視点として、茶にまつわる工芸品をより広い視点から見渡してみたいという気持ちも込めています。
 
<陶磁>
 
中国茶道具研究において、やはり宜興の紫砂壺や景徳鎮の磁器は王道と思われます。自分の中の陶磁器研究もまだまだですが、茶を志してからそれがずっと続いてきました。陶土や釉薬などの原料のことか、鑑賞の視点から見る伝承のことなど、あまりにも話題が膨らみそうなので、陶磁器のことについてはまたの機会に譲りたいと思います。
 
<金属>
 
話題は論文の金属に戻ります。ご縁があって、金工作家の個展で3年間茶席を出させていただきました。それで金属の技法は大きく鋳金・鍛金・彫金の三つに分けていると知りました。彫金は飾りつけの技法のようで、茶道具を作る技法ではないようですが、鋳金は型で溶かした金属を成形させて、鍛金は金槌で打って成形させる技法です。
 
台湾茶・中国茶の席と関わる南部鉄器は鋳金に属し、燕三条の鎚起銅器である湯沸しは鍛金に属します。実際、数回か金工作品を目にふれた中、去年、若手金工作家奨励の淡水翁賞を観に行けたのは大きな収穫でした。いきいきとした金属工芸の中で、鈴木成朗さんの鉄瓶や鉄の釜は伝統を受け継ぎながらの新鮮さで印象に残りました。
 
<ガラス>
 
茶淹れとほぼ無縁なガラス工芸も私は注目しています。
 
 
 ▲今から5年前の夏に出会った沖縄のおおやぶみよさんの吹きガラスです。アクセサリーをいれる置物のようだったが、茶入れとしていくつかの茶席で使っていました。
 
「作家で、耐熱ガラスを作っている方はほとんどいません」とある器を取り扱っている店主さんがおっしゃいました。たしかに、おおやぶさんの作品もそうです。ガラスのお皿も手元にありますが、それを茶船として使っている時は気をつけながら、お湯をこぼさない蓋碗の下に敷いています。
 
茶席では単なる飾りになりそうですが、ガラスの工芸品は陶磁器と一味違って眺めているだけでも心が躍ります。
 
<手漉き紙・その他>
 
茶席で落水紙(水を落として紙に穴を開ける技法)や、うるし紙に手を伸ばしてみたこともあります。古から大事なメディアでもある紙は日々文字を書いている私たちにとって、身近でとても魅力的な工芸品です。
 

 

 ▲2016年の「無事 卒業茶会」のルハン席でした。地面に光っているのがうるし紙です。

 

<参考書>

 

 

たまたま手元にあったこの本を最近愛読しています。「民藝の教科書」シリーズで、「民藝」の弁明に力が入っていると伺えます。

 

嬉しいことに金工・ガラス・紙の作り方や産地訪問がちょうどこの一冊に収まっています☆

 

最後は少し反省として、興味が色々なところにある自分ですが、そのような性格も文章に反映している気がします。こんな時に座右の銘にもなっている蘇軾の言葉を思い出します。
 
「博観而約取、厚積而薄発」
(広く知識を読み漁っては自分のものにするのを制限し、
厚く蓄積しては薄く発信する)
 
気持ちだけこの記事に綴り、学問の修業がまだ続きます。
 
 
<関連リンク>
「明代茶書にあらわれる銀器について」→