今日は、一応仕事で、熊本県荒尾市にある、万田坑に来ています。万田坑は三井三池炭坑にあり、日本の産業革命を支え、多いときには日本の石炭産出量の10%を生み出していたそうです。1997年に閉山となりますが、明治から平成にわたり日本の産業振興を支えたシンボルです。また、2015年には世界文化遺産に登録されています。
博多から、この柄のシートの電車で大牟田に向かいます。1時間とちょっとの電車旅です。
大牟田に着きました。大牟田からは、車で万田坑に向かいます。まずは、インフォメーションセンターで展示を見ました。
全盛期の模型です。専用の鉄道が港まで引かれていたそうです。
石炭です(青いのは、他の照明が当たっているからです)。
いよいよ、万田坑に向かいます。9月も2週目なのに、外はものすごい暑さです。
今回、私がお伺いした目的は、「工学的な視点から見た万田坑の魅力を再発見して欲しい」ということでした。
正直、お伺いするまでは、それほど発見があるとは思っていませんでした(すみません)。
今回は、荒尾市役所の方にも同行して頂き、普段は公開していない場所も特別に見せて頂くことができました。
まずは、構内の設備をメンテナンスする場所「職場」です。
いきなり、年代物のボール盤(?)がありました。
歴史を感じます。
また、この旋盤は、写真右上に見えている天井付近に設置された回転軸からベルトで動力を取るという非常に古いタイプです。これは、モーターなど電気を動力とすることが一般的ではなかった明治時代に、蒸気を動力として工作機械を動かしていた頃の名残です。
次に、万田坑のシンボルでもある万田坑第二竪坑櫓に吊り下げられていたゴンドラを駆動する機構を見に行きました。
この櫓は約20メートルで、当時、第二竪坑は200 mの深さがあったそうです。
これは、軽い荷物を上下させるのに使われていたウインチです。この駆動方式は蒸気を用いたもので、何とその機構は蒸気機関車(SL)と同じです。その証拠にウインチの両脇にはシリンダーがあります。
さらに、こちらが人を地下200 mまで運ぶゴンドラを駆動していたウインチです。その大きさに驚きます。
ロープの速さは、一分間に220 mとものすごく早く、降下時は、体が浮くほどだったそうです。
これがブレーキです。ドラムに木材を押し当てて、その摩擦でドラムを止める仕組みです。
(絶対に乗りたくありません)
そして、今回一番驚いたのが、これです。
これは、多分、遠心力ガバナーではないかと思われます。遠心力ガバナーは、蒸気を動力としていた頃に用いられていました。回転軸に設置された2つの球体は回転軸の回転数が早まると遠心力で外側に広がり、リンク機構を介して蒸気弁を閉める仕組みになっています。
これにより、回転数が上がると、蒸気弁が閉まって回転数の上昇を抑えることができるという、産業革命以降に最初に開発された自動制御のしくみです。機械工学を学ぶ方は、熱力学や制御工学の教科書でこの遠心力ガバナーの絵を見ると思いますが、実物を見たのは私は初めてです。
続いて、まだ一般公開されていない、炭坑内を照らすヘッドライトのバッテリーを充電する部屋を見せてもらいました。特別に許可を得て撮影をしています。
この一つ一つの端子で充電するそうです。アルカリ電池(?)と書いてありました。
左がバッテリーで右がヘルメットに付けるライト(豆電球のよう)でした。リチウムイオン電池が無い時代ですので、バッテリーは非常に重いです。
建物内の通路です。非常に狭いです。通路から下の風呂場も一般公開されていません。ここも、特別に許可を得て撮影をさせていただきました。
ここは、風呂場です。真ん中にある黒い桶はゴム製だそうです。何故かというと、気性の荒い炭坑マンが桶を投げつけても割れないように。。だそうです。
そして、万田坑第二竪坑の跡を見にいきました。
竪坑は今、コンクリートで塞がれています。以前はここに深さ200 mの穴が空いていて、
作業員はこれに乗って、先ほどのウインチで地下200mに1分程度で下りていたそうです。
私には絶対無理
色々と錆びていて、年月の経過を感じます。
さて、最後に第一竪坑を見に行きました。
屋外には、とても肉厚の配管が放置されています。
これが、第一竪坑の櫓の基礎です。櫓自体は撤去されています。
第一竪坑は、坑自体は埋められておらず、今も深さ200 mぐらいの坑が空いているそうです。
色々な発見がありました。とても面白かったです。 お忙しい中、また大変暑い中、万田坑を説明して下さった荒尾市役所の皆様、大変ありがとうございました。