こんにちは うぐいすです

 

朝ドラでのセリフの一部です

 

良い母になんてならなくても良いと思う

自分が幸せじゃなきゃ~誰も幸せになんて出来ない

 

 

えー仏教界からの浅い解釈によって「利他の生き方」が重要と考える人が

多数派を占める日本にも 新たな生き方への流れを理解する傾向が

是までよりも鮮明になってきたように感じます

 

あなたがいなけりゃ死ぬのがいいわ という歌詞で注目されている歌手

 

藤井にとってこの“あなた”とは「自分の中にいる愛しい人。自分の中にいる最強の人」のことで、心の中にいる理想の自分のことを指しているのだそう。「それを忘れてしまっては死んだも同然みたいな。(自分との対話みたいに)なってると思うんですけど」と楽曲の捉え方を説明した。

https://mdpr.jp/news/detail/3531088

 

えー自分の中にいる愛しい人 最強の人

   これって高次自己のこと?

 

 

 

周りの環境を優先する生き方から もっと本質へと目を向けた生き方への変化

 

十年前に「まず自分」とブログに書いた私としては 歓迎すべき時代の幕開け?

 

過去記事を一部修正して再掲載させていただきます

お時間のとれる時に見てくださいね

 

 

 
 こんにちは うぐいすです

 

 

今回の 「身近な隣人には 救いの手を差し伸べましょう」

 

という 考え方と言うか 思想とも取れる 

 

日本の そして世界の 常識と思っている思考エネルギーですが

 

 

私が 何故ここまで あらゆる角度から 長々と書いているのか?

 

「もう 充分わかったから 書かなくても 結構です!」

 

と言う お叱りの声を感じながらも まだ書いています

 

 

それは この問題は いくら頭では理解していても 子供の頃から

 

学校や集会などで 何度も 何度も 刷り込まれているので

 

自分の身近な問題に 対処する時には つい使ってしまう考えなのです

 

 

その考えが 良いとか 悪いとかの話では無く 意識の奥に刷り込まれた 

 

数学で言えば 難問を解く時に使う公式みたいなものなのです

 

 

実は 今の瞬間にも 自分の家族や隣人の困っている人を見て

 

何もできずに 見過ごしながら 心の底で 自分でも気付かぬうちに

 

薄情な自分を責め続けて 苦しんでいる人が大勢いるのです

 

 

そして 心の中では 自分に対して 言い訳を言い続けています

 

 

 

「こんな 困っている人には 何かしてあげたいけど 私も大変だから・・・」

 

 

そう言いながら 何もしていない自分を 責めている人がいます

 

 

ちょっと また角度を変えて 考えてみませんか?

 

 

世界的にも 有名な マザーテレサ の事なのですが

 

私も 少しネットで調べてみました

 

 

教義を布教する為の広告塔として 利用されたとか その他の記事 

 

色んな はなしは事実?なのか 分かりませんが

 

今の私には そんな事はどうでも良いのです・・・

 

 

私個人のマザーテレサへの 思いは 当初感銘を受ける言葉ばかりでした

 

何処かの国で 表彰を受け 盾でしたか?を貰った彼女はこう言ったのです

 

 

「これは いくらで売れますか?」こう周りの人に聞いたそうです

 

「私は これを売ったお金で パンを買って 一人でも困っている人の

 

空腹を満たしてあげたい」 こんな意味の言葉を言ったそうです

 

 

当時の私は その報道を見て 涙したものです

 

「なんて 心の綺麗な人や~ こんな言葉が自然に出て来るような

 

人になってみたいな~」そう思って感動していました

 

でも実際には そこまでの感覚になれるはずは無い事は分かっていました

 

 

しかし 今の私が この報道を見ても 同じ感動は無いのです

 

世界中の人(一部 違う人もいます)が 感動し 賞賛したマザーテレサ・・・

 

彼女は ほんとうに幸せだったのでしょうか?

 

ほんとうに 満足して 後悔などの無い 生涯を閉じたのでしょうか?

 

 

そして その考えに同調して 生涯を捧げた多くの人達は幸せなのでしょうか?

 

 

私は 一歩離れた視点から テレサの表情を思い浮かべるのですが

 

余り 幸せそうな感じを受けないのです

 

この感じは 全く 私個人の感想なので お叱りを受けるかも知れません

 

 

人の犠牲になって生きる姿には 誰もが感動する程の美談があります

 

でも その主役は 幸せを感じているのでしょうか?

 

その生き方は 人間レベルでは 感動を呼ぶ 美しい話かも知れませんが

 

「あなたが 主人公というエネルギーの観点」からは違うように思います

 

 

私は とても身勝手な人間なので 自分主体に物事を考えるのです

 

 

 

 ここからは 私の心の声だと思って下さいね・・・

 

今の地球の問題・・・環境の事や 人口 国どうしの領土の取り合い

 

   各地での紛争  それに経済 自然破壊 等等 考えれば・・・

 

 

全て 自分が今この場に存在しているから 感じているし考えている

 

もし 自分が存在しなければ 問題どころか この地球の存亡も

 

何も 関係が無いのではないか?

 

 

勿論 自分の子供や孫も存在しない そんな世界には何の責任も無い

 

この世の 全ての事の中心には まず自分の存在が先や・・・

 

どんなに 周りの状況が 多岐に渡って変化しても「まず自分!」

 

そこから 視線を離せば 基本の部分が無い世界になる!

 

 

(´Д`;)ヾ ドウモスミマセン こんな身勝手なわたくしです!

 

 

もう少し 強欲で利己主義な私の話に付き合って頂けますか?

 

 

 

 

 

では あなたの周りで困っている人や苦しんでいる人に気づいていても

 

全く 知らん顔をして 自分だけの幸せを満喫すればそれで良いのでしょうか?

 

 

その苦しんでいる人が どこかの知らない人なら それも良いでしょう

 

私は 今まで 自分と環境への 関連付けの考えの基本は

 

「何故か 気になる・・・」 という 自分の感じを 判断基準にしています

 

 

自分と関係の薄い 人の苦悩は 「可哀想」という感情は起こっても

 

「気になる」という事は無い様に思うのです

 

是れが あなたの家族であれば「気になる」どころではありません!

 

 

あなたは 何とかして手助けをしようとするでしょう

 

思い出してみて下さい・・・

 

子供が 少し大きくなってきた頃の事を

 

 

道で 転んで 甘えて泣いている我が子に どう言いました?

 

いつまでも 泣いていないで 自分でしっかり起きなさい

 

こう 言った人もいるでしょう

 

そう言って 励まして 起き上がる気力を出させたのではないですか?

 

 

では あなたの身近な人が苦しんでいる時にどうすべきなのか

 

そのヒントになるか 分かりませんが 仏教の譬え話をひとつ・・・

 

 

 

 

(三草二木の譬え)

広大な大地にはさまざまな草木が生えている。その種々の草木に恵みの雨は等しく注がれる。一つ一つの草木はたしかに大小異なっているが、雨はその分に従って注がれ、滋養となって花を咲かせ実を結ばせる。


 

 

恵みの雨とは仏の慈悲である。その恵みの雨は大地を潤す。衆生は草木に大小があるごとくさまざまである。それをここでは「三草二木」といっている。

一見すればそれは、仏が衆生に相応の水を与えているかに見える。しかしよく見れば、仏は大地を潤しているに過ぎない。その大地から大きな木は大量に水を、小さな草は相応の水を吸い上げているのである。

 

にもかかわらず水の分量ばかりに気をとられ、それを単なる差別と見てしまうのは、自分という存在をしっかり認識できないからである。

たしかにそれぞれが吸う水の分量には違いがある。しかしそれはけっして差別ではない。


 

 

皆が一仏乗になるとは、皆が大木になることではけっしてない。

大きい木、小さい草それぞれが己の個性を認識し、しかしながらそのすべてが仏の子であることを認識する。それが一仏乗ということなのである。


 

 

 

SMAPのヒット曲で「世界に一つだけの花」がありましたね。


 

♪ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン~♪


 

 

日々の暮らしの中で何の目的も無く、向上心を持たない怠惰な生き方の中には、本当の自分の個性は磨かれないのではないでしょうか。


 

身近なところから隣人を「信じ」そして、明日の希望を「感じる」生き方の中にこそ、本当の個性・・・オンリーワンが磨かれるのではないでしょうか。


 

「三草二木」・・・無理せず  背伸びせず  自分らしく

        愛と感謝を言葉にしながら、体感していく

 

そういう生き方にこそ、真の人生があるのではないでしょうか。

 

               

          *:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

 

 

 

仏教の譬えなので ちょっと馴染みの薄い感じがするかも知れませんが

 

仏の慈悲を・・・宇宙からあなたに降り注がれるエネルギー

 

草木の大小は・・・個人という人格と個性

 

 

と置き換えて考えていくと

 

恵みの雨というエネルギーを吸い上げる為には個人の自立した力が

 

無ければならないのではないでしょうか

 

 

身近な人の苦しみを見て 一喜一憂するのではなく 

 

ポイントを絞った動きに 打ち込むべきではないでしょうか?

 

 

そのポイントは あなた自身のエネルギーを 今よりも更に安定させて

 

そして そのエネルギーを 体イッパイになるようにする事です

 

その方法は あなた自身が 選択するしかありません!

 

 

私は 毎日の地道な瞑想法の持続によって エネルギーを増やしています

 

毎日 地道に続けていれば エネルギーは着実に増えてきます

 

 

そして その内には 体から溢れて こぼれ出すようになります

 

そのこぼれたエネルギーが あなたの身近な人へ 「恵の雨」となって

 

降り注ぎます それは自力で立ち上がろうとするエネルギーとなって

 

あなたの意識の及ぶ世界に浸透していきます

 

 

もし 身近な隣人が 悲劇のヒロインが好きな人なら そのエネルギーを

 

吸収する事は出来ないでしょう

 

でも 何とか立ち上がりたいと 願う人ならば 自力のエネルギーを

 

吸収して 立ち上げって来る活力に変換するでしょう

 

 

いかに 自分の家族であっても 魂は別々です


 

その個人の選択までは 手出しできないのです

 

あくまでも あなたは中心を保って 溢れるエネルギーを流せば良いのです

 

 

それを 使うのか 使わずに 苦しみの海を泳いで経験を積むのか

 

その判断は 相手の高次自己と本人が決めるでしょう

 

 

その距離さえ しっかり認識できれば 

 

隣人からの余計な 迷いや悩みのエネルギーに

 

あなたが左右される事はないのではないでしょうか・・・

 

 

この距離感の認識が 「利他の生き方」の肝心な部分なのではないか?

 

そんな ふうに思うのです

 

 

まず自分のエネルギーを安定させて イッパイになるまで待って下さい


 

その こぼれたエネルギーを吸収する気力のある人が立ち上がります

 

「恵の雨」のエネルギーで この地球を包めれば 良いですね・・・