こんにちは うぐいすです
先日 吉備津彦神社に行ってきた
19年前にエネルギーの仕事に参入するきっかけとなった神社なので
毎年の年始の挨拶として 一月のうちにお参りするようにしている
エネルギーの仕事を始めて以来の決め事として
神社から呼ばれないと行かないと決めていたけど
その決め事も もしかすると制限という枠にとらわれているのかもしれない
私の制限があるのならば それを取り払う時期が来たというサインなのか
是までに何度もお参りに訪れている吉備津彦神社で
いつもとは違った場所や大木に反応してエネルギーを流し込んでいた
ご神木では いつもとはちょっと違った感触もあり
本殿の横では 濁ったような波動を感じ エネルギーに向き合っていた
エネルギーの修行は 案内板のない道を進むようなものなので
間違えてはいけないという想いが強く会って
是までの私には ある程度の制限をかける必要なあったという事なのか?
この頃 ちょっと気になっているのが我が家の窓から見える夕立受け山
一番高い部分が夕立受け山
この地域の神々が集まって話し合う場所でもある
この数年前から 「普通に生きろ」と言われていた事を模索していたけど
何もない日々にちょっと飽きてきた感じが有って
それが何を意味するものかと瞑想にも取り組んでいた
その答えなのか それとも私の勘違いなのかもしれないけど
「自由に生きろ」に変わったような気がする
私の能力に 私自身が制限をかけていたけど
試しに 今までよりも私の進む方向を選ぶことを信頼してみようと想う
これまでのエネルギーの仕事で繋がってきた人たちとの向き合い方も
「自由に」と切り替えてみようと思っている
勿論手放しでの自由が 全ての人に当てはまるとは思っていないけど
もっと自由に お気楽に
それが否定の無い世界への入り口に向かうことかもしれない
吉備津神社の写真も






