こんにちは うぐいすです

 

世界では人々を不安にさせる事件が翻発しています

その事実を どう受け止めるのか

どう考えを進めれば 私たちは幸福に近づけるのか

 

前回のブログでの言葉にはヒントがあるような気がする

 

意識の奥からの安定があっても それが現実世界に影響を与えるなんて

信じられないと思うのが常識的な考え方と言えるでしょう

 

いくら心の奥が平和であっても地震の真っ只中にあれば災難からは逃れられない

と考えるのも常識的な考え方

 

この常識的な考え方は大震災直後の私の実体験とはちょっと違っている

 

もっと正確に言うと 強烈な揺れがおさまった直後の人々に通じる

悲惨な現実とは裏腹な高揚感があった

 

身近な人を失った方には通じないでしょうけど

 

家族共々 命からがら揺れの真っ只中にいた人が 揺れが収まった時に

共通していた感情は上機嫌であった

 

妙に上機嫌という場違いな私の感情は

今でもハッキリおぼえている

 

地震直後の私は まず家族の安全を確認することが最優先であり

それが確認されると 何故か開き直ってビデオカメラを手に表にでた

 

大変なことになってしまったけど こんな大異変は私の一生でも

恐らくこれが最初で最後だろうと記録に収めることにした

 

表にでて最初に気付いたのは 隣の文化住宅の一階にすむおばさんからの

助けて~っという声

 

近づいていくと 建物全体がゆがんでいて玄関の戸がちょっとだけ開いていて

その隙間から手を出して 助けを求めている

 

近くにいる男連中に声をかけて 玄関のドアをこじ開けまずは一安心

 

その後もカメラを持って近所中を見て回りながら撮影をしていたが

二階が一階になってしまっている家や 壁全体が崩れちていて

リビングが丸出しになっている家などは 

 

人の不幸をあざ笑っているようでカメラを隠すように通るだけで

撮影での記録は残っていない

 

何とか壁の体裁を保てている家では 長い梯子をかけて

屋根瓦の損傷の具合を見る為に梯子を上りかけているおじさん

それを眺めているご近所のおばさんたちにからかわれている

 

しばらく 眺めながら様子をみていて

何か この状況とは合わない違和感を感じ始めて

何かおかしいな・・・と考えを進めてみると

 

なぜか・・・なぜか

私も上機嫌であった?

 

私もご近所のおばさんやおじさん連中も冗談を言い合っていて上機嫌

 

時々起こる余震のたびに 逃げまどっているのに

なんで 喜んでいるの?

 

しばらくして家に帰り着くころには答えがでていた

 

「命は助かった」

それだけで喜べる人間の強さ

それだけど上機嫌に生きられるおばさんやおじさん

 

震災後の数日は上機嫌だった人たちも

一週間を過ぎるころには だんだん表情も暗くなってきて

これからの身の振り方を考えこんでいるようでした

 

でもね

私の経験からいえることは

人々を不幸に落し入れるのは

 

外から起こる災害や事件などでは無いのかもしれない・・・

 

阪神淡路大震災のような地震であっても 

その地に住む人々から数日間の上機嫌を奪うことはできなかった

 

自分自身の外からの現実が不幸や不安を産み出すとは言い切れない

貴重な体験をさせてもらった阪神淡路大震災の記憶です