こんにちは。

 

大阪でラジオパーソナリティー&色彩心理カウンセラーをしている

上代貴子(じょうだい)です。

 

今日7月15日は、私に大きな影響を与えた大切な人の13回忌なので

その出来事としっかり向き合ってみたいと思います。

 

大学時代に出会った同い年のK君と20代の頃お付き合いをしていました。

 

唯一両親に紹介した人なので

両親はK君としか付き合ったことがないと思っています😆

 

大阪と和歌山という中距離、

仕事の休みが合わなくなってきたことなどが原因で別れてしまいましたが、

何度かよりを戻したこともありました😅

 

でも結局私は大阪で仕事をすることを選びました。

 

で、仕事に励んでいた33歳の時、

共通の友人から連絡をもらったんです。

「K君が心臓移植のドナーを待つ為に国立循環器病センターに入院している」

 

K君には心臓の持病があることは知っていましたが、

お付き合いしている頃は、アメフトをしたりジェットコースターにも乗ったりしていたので

そんなに深刻だとは思っていませんでした。

 

「元カノにお見舞いに来られるのは嫌かもな…」

と複雑な気持ちで、共通の友人と共にお見舞いに行きました。

 

元アメフト選手でがっちりしていた体はすっかり痩せていて

色んな器具を付けられてベッドの上に寝たきりになっている姿を見て

こらえきれなくなって泣いてしまいました。

一番してはいけないことと思っていたのに…。

 

その後も何度かお見舞いに行きましたが

何を話していいか分からず、

「今日は暑いね」って言ってしまったり…

 

寝たきりのK君にとっては

暑いことすら感じることが出来ないのに…

全く配慮のない言葉でした。

 

案の定、返ってきた言葉は

「知らん」でした。

 

言葉の無力さを感じてしまいました。

 

そして言われた言葉が

「もう来んといて」。

 

私は自分が情けなくなって

その言葉をそのまま受け取り

お見舞いに行くのをやめました。

 

1年くらい経った時にある人から言われたんです。

「そんな言葉鵜呑みにしたらあかん。

今すぐ笑顔で会いに行き!言葉はいらん。とにかく笑顔や!」

 

複雑な気持ちのままでしたが、笑顔で会いに行きました。

すると、不思議とその時K君もずっと笑顔でいてくれたんです。

 

 

それがK君との最後の別れとなりました。

36歳でした。

 

 

「自分で病院を探して入院し、最後まで希望を失わず頑張っていた」と

ご家族から伺いました。

 

その後四十九日の忌明けに満中陰が送られてきたのは

私の誕生日でした。

 

涙が止まらなかったのを覚えています。

 

今年で13回忌ですが

K君に守ってもらってるな~と感じることがしばしばあります。

 

 

私が3年前に婦人科系の手術の為に入院した時には

手術の前日夢に出てきて

「何びびってんねん」って言って去っていきました。

 

それでびびるのをやめました(笑)。

 

K君はラジオ好きで

20代の頃にMBSの「ありがとう浜村淳です」のヘビーリスナーでした(笑)

 

縁あって私が初めてMBSラジオの「あどりぶラヂオ」を担当させて頂いた日(1/14)は

初デート記念日でした。

 

昨年からパーソナリティーをさせて頂いている

MBSラジオ「レイディオ・ゴー!」は

K君の命日のある7月からのスタートでした。

 

 

 

「K君のことは忘れず思い出さず…くらいがいいよ」

とアドバイスをくださった方がいたので

今はそうしています。

 

いまだに私が独身なのはK君のせいではありません。

これは私個人の問題です(笑)。

独身主義でもありません。

 

ただ、もしご縁のある方がいらっしゃれば

それはK君のお眼鏡にかなった人なんだろうなぁとは思っています。

 

 

3年間、ドナーを待ち続けて入院していた期間、

「テレビは見る気にならへん」と言っていましたが、

ラジオは枕元に置いていました。

私にとっては忘れられない光景。

 

だから私は、そんな時こそラジオが寄り添ってくれると信じています。

 

K君と出会ったことで経験した出来事は

 

♡今生かされていることに感謝する。

♡働きたくても働けない人がいる。

 元気に働けることが、私にとっては一番の幸せ。

♡臓器移植を待って命を落としている人がたくさんいる。

 意思表示は大切。


そんなことを気付かせてくれました。

 

K君のことを話すと涙が出そうになるし

その場がしんみりしてしまうのも嫌なので、

ほとんど話したことがありません。

その後付き合った人にも言ったことがありません。

 

でも、

私の生き方、考え方にはK君とのことが大きく影響しています。

 

13回忌を機に

私自身の気持ちを整理する為にも

ブログに書き留めておくことにしました。

 

長くなりましたが

最後まで読んでくださってありがとうございました。

 

K君は和歌山の四季の郷公園というところでバラの管理をする仕事をしていました。

お正月元日にもバラにお水をやりに行っていたのを覚えています。

なのでバラの写真を添えて偲びたいと思います。

包みこむような愛の色ブルーですね。