古代中国の貨幣①…燕明刀 | blog.正雅堂

古代中国の貨幣①…燕明刀

これは、古代銭と呼ばれる古代中国の貨幣。我が家にもう永く滞在している。

古来から大陸と言えば中国を指したこの国には、今現在も各地から様々な遺品が出土している。ここにある貨幣も今から2000~2300年前に造られたものである。


「偽物じゃないの?」

と思われるも、その心配は無い。

残念ながら、収集家の間では数千円で取引されるものであり、贋作を作ると、高くつくのだ。


今日はそのうちの一つ、刀の形を挙げてみる。

その形のとおり刀貨と呼ばれ、紀元前1100年から紀元前222年の春秋時代に、現在の北京周辺あたりから遼東半島を統治していた燕で造られた。周王朝以来の永くて伝統ある王国であったが、春秋時代の末期、勢力を伸ばした秦によって滅ぼされてしまった。


 私の愛読書でもある司馬遷の「史記」にはその様子が細かく記されている。燕の公子(王族)・丹は、幼い頃に秦の公子であった政(後の始皇帝)とともに、趙の国で人質生活を送っていた。

丹と政は歳も近く遊び相手として交友を暖めていたが、丹が太子に為に燕に帰国し、やがて政も秦に戻って太子となった。

 数十年後、燕が秦の侵略を恐れるようになって秦に人質を差し出すことになったとき、燕の太子・丹は、相手が旧友の秦王であることを理由に自ら志願し、秦王・政のところへ出向いた。


しかし、政は丹を冷遇し、これに腹を立てた丹は国益を振り返らず、秦を脱走して燕に強制帰国してしまった。政は旧友の情けとしてこれを黙認していたが、怒り収まらぬ丹は、密かに秦王の暗殺を企んで刺客・荊軻を秦に送り込んだ。


しかし、荊軻が失敗したことで秦は怒り、燕に攻め込んでこれを滅亡させてしまったと言う。秦はこの後、斉の国を攻め落とし、中国を統一させた。


この刀貨は北京郊外の土地から出土したもの。史実が語るとおり燕の産物と考えられる。篆書体で「明」とかかれていることから、燕明刀と呼ばれ、おそらく(間違いなく)拙宅で最も古い人工物になろう。