社会貢献する殿様の子孫達 | blog.正雅堂

社会貢献する殿様の子孫達

立場上、具体事情を書くのはふさわしくないので日付を置いて書くことにした。


先週の某日、所用にて霞ヶ関ビル34Fにある霞会館に随行する。


霞会館は日本文化事業や福祉事業を旨とする社団法人で、会員数は4月現在で863名。霞ヶ関ビルの土地権者であり、ビルの家賃収入と地代、会員からの会費を主たる収入源としている。


しかしながらこの霞会館、世が世ならば大変恐れ多い場所である。


会員は公家や武家の末裔に限られ、会員資格は原則として当主。いくつノーベル賞をもらおうとも、たとえ首相経験者や伝統芸能の世襲家元であっても入会はできない。


つまり、戦前まで「華族」とよばれた日本中の名家名族の集まりである。


徳川将軍家の御当主は勿論、加賀百万石を称した前田家の御当主、岩倉具視公の御子孫も居られれば、大久保利通公の御子孫も居られる。将軍家、大名家、公家、それから新華族と呼ばれた維新の功労者といった家がその対象である。


現在はすべての旧華族の当主が加盟しているわけではなく、会員を辞している家もいくつかある。これも時代の流れなのかもしれない。森家も津山藩の改易後、2つの分家が大名家として明治まで存続したが、現在会員となっているのは1家のみ。


さて、この霞会館はその前身である「華族会館」に由来する。


明治政府は大名家・公家・維新の勲功者に対して爵位を与えて華族とし、特権を与えて平民と分けた。このときの有爵者の親睦団体として設立されたのが華族会館だった。

華族会館としてではないが、有名なところでは1883年に設立した日本鉄道会社の話。

上野から熊谷まで蒸気機関車を走らせたこの会社は日本最初の私鉄といわれ、秩禄処分で得た公債を元本にして、この会社に出資したのが彼ら旧藩主や公卿達の有志であった。


単なる仲良しクラブの親睦団体ではなく、有志を集って積極的な公共事業を行っていたようである。


そして1927年に所有していた鹿鳴館の土地と建物を現在の大和生命保険に売却。(鹿鳴館はその後1940年に解体)。さらに戦後、日本国憲法に施行に伴い華族制度が廃止されると霞会館と名を改め、霞会館が所有する現在の場所に三井不動産が霞ヶ関ビルを建てると、その上層階に本部を置いて現在に到っている。


つまり、現在も霞ヶ関ビルの建つ土地は霞会館のものであり、ビルは三井不動産と霞会館の共同所有ということになる。
霞ヶ関ビルといえば、完成当時は147mを誇る日本最初の超高層ビルであり、今も「霞ヶ関ビル○個分」と容積を量る対象物になっている、小学生からお婆ちゃんまでが知っている、日本で最も有名なビルだ。


ちなみに霞会館は、800名からの会員が居ながらも、多くの会員は遠慮して足を運びづらいという。華族の中にも封建時代の石高や家格に比例した爵位の上下関係があったように、現在もその名残があるのかもしれない。


会員資格を持つ人(勿論、名家の当主)でさえ、そういう意識があるのだから、いかに敷居が高いかが察せられる。

だが、天皇が日本の象徴とされているように、彼らもまた非常に重要な存在意義がある。


 日本の伝統文化について真剣に身を持って研究し、維持し続けられるのは彼らを置いてほかには無く、即位の礼や大葬の礼といった諸外国の要人を招く国家的皇室行事に際しては彼らは大切な役割を果たす。宮内庁にも儀式を司る式部職という部局があるが特別職枠であり、国家公務員法による一般職公務員ではない。もっとも、行政職とは無縁の歴史考証に係る専門職であるので、必然的に有識者として霞会館に関係の深い方が多くお勤めになられている。


 貴族制度が廃止された今、当然ながら彼らに社会的特権や地位の保障は一切無いし、活動資金には一銭たりとも税金は投じられていない。つまり日本の伝統文化に興味の無い国民が居たとしても、そうした人達に何ら迷惑は及んでいない。 


意識的に伝統文化の研究を行い、しかも国の予算や株式会社のような売上げを頼りにしない団体というのは、自力発電をする太陽電池のような存在でもあり・・・他の国にこのような特殊で安定した貴族や旧貴族の親睦団体が他にあるだろうか。


皇居を見下ろせる場所に立ち、国中のどの天守閣よりも高いこの場所で、現在もお殿様の子孫達は様々な文化活動を続けているのである。