【第46話】「屍に鞭打つ」~前統治者の墓 | blog.正雅堂

【第46話】「屍に鞭打つ」~前統治者の墓

「屍に鞭打つ」という言葉がある。
死んだ人の悪口を言うことを指すが、文字通り実践することなんて日本では考えられない。

日本ではどんな罪人であろうと死ねば仏として大切に扱われる。かの徳川家康でさえ関ヶ原で負けた石田三成の墓を黙認した。誰だって死ねば仏様なのだ。

 しかし、国外の前君主の墓所はどうであろう?

古代中国で呉国の伍子胥(ごししょ)は、父親と兄の仇である楚国の平王の墓を暴いてその屍を鞭打ったという、まさに掲題の語源であるが、この他にも、古代中国で政権を掌握した項羽は前王朝となった始皇帝の御陵を暴いて財宝を奪取したという。

 フランスも似ている。王朝が変わると、その王室が使っていた墓所を使いたいためにそれまで葬られた前王朝の王族の棺を一箇所に纏めたり、捨てたりした。そして革命が起きて王室が恨まれると、全ては引きずり出されて晒し物となり展覧会を開く。
日本では無縁塚の合葬はあるが、捨てるなんて到底考えられないことである。

これらは国の君主であるので、次のことと比較してはならないが、あえて森家ゆかりの津山を挙げてみよう。
森家の津山における菩提所は本源寺であり、津山の3大名刹とされている。

 津山における森家の治世は97年。そしてその後に津山の主となったのは松平家でこれがおよそ170年間の統治である。津山の歴史では断然松平家の治世が長いわけであるが、それでも森家の匂いを消すことはなかったのだ。

 松平家は入国すると直ちに本源寺に対して寺領を与えている。寺領とはお寺が受け取ることのできる米を意味しており、つまり寺を保護しているのである。もっとも、知らない土地で有力な力を持つ寺院を邪険に扱うわけにもいかなかったのだろうが、とにかく森家の墓所に手を加えることなく、現在に残した。また、永代にわたってこれを擁護しようとしたのか、松平家が旧領から運んできた一族の位牌をここに安置している。
つまり、そうすることで、松平家の菩提所として永久に保護することができる狙いも伺える。

では、なぜ松平家がそこまでの配慮をしたのか。

それは、おそらく津山を退去した後も森家は存続し、互いの当主は江戸城ですれ違うこともあったであろう。雲の上のような場所でやり取りされた人間関係が物を言ったのかもしれないが、とにかく前の居住者に対して敬意を表しているのは事実である。
 この松平家の行為が領民を安堵させるための対策では無いであろう。外様大名であるが故に高額な出費を強いられた森家は領民から高率の年貢を取り立てた。そのため森家に対する愛着心が特別高かったとは思えない。

 本源寺周辺は寺町といわれ多くの寺院がひしめいている。しかし、年代ごとの地図を見るとその衰勢が面白いほど判る。絵図から消滅した寺、隣の寺院に飲み込んで拡張された寺院・・・まるでお寺の力関係が想像できるようだ。その中で本源寺だけは格段に広いその寺域が森家による創建当時のまま残され続けていた。これは松平家の保護なくしては成り得ないことである。

 もっともこういう例は津山に限らず日本の諸大名家の多くがこれに近いことをしているということを最後に付け加えておく。

前の統治者を消し去ろうとする者もあれば、身内を祀ってでも残そうとする者、まこと人間とは面白い生き物である。