まうらんダイアリー

まうらんダイアリー

完全に主観です。ただそれを大事にしていきたいです。

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高校入学。授業内容は普通学科に加えて専門学科+実技。

旋盤、鋳造、鍛造、製図、設計などなど当時はちんぷんかんぷんでついて行くのに必死でした。加えてレポート提出のために徹夜することも多かったです。


部活動は中3で出会ったギターをやりたいと軽音学部に入りました。まぁ運動部から逃げたのもありますけど。バイトしたかったし。言い訳ばっかりだな…



授業の忙しさからの反動かまぁー好き勝手やってたなぁと。練習はちゃんとしてましたよ!やる時はね!それ以外の時は…お察しの通りですが。




授業と部活とバイトと明け暮れながら青春を謳歌しました。今でも当時の部活にいた友達とは会ったりします。いいヤツらです。


そして18歳。進路を決める時期です。




工業高校だといろんな企業からの求人が溢れていてほぼ9割はそのまま就職でした。その為に工業に来たようなもんですよね。

そんな中、私は専門学校に進学しました。自動車整備士になりたいと思ってましたので、親を説得して進学させてもらいました。


まぁここでも担任に言われましたよ。


「もったいないぞ?」って。




オレ、そんなもったいないことしてるか!?疑心暗鬼だよ。パニックだよ。でもさ。そのまま就職した方がもったいないって思っちゃった訳よ。


父親がディーラーの営業マンだったので小さい頃からいろんな車に触れてきました。母親もスポーツカー乗ったりしてたし。

あと、それくらいの年代になると免許取ってバイクとか車に乗り始めるヤツら急増するのでそれもあるし。

加えて将来考えたときに車って当分なくならないし、国家資格取れれば仕事に困る事はないだろうし。深いようで浅い価値観持ってました。



確かに高校の同級生はほぼほぼ就職してましたが、中学の同級生ではそれが逆転してほぼ大学生。普通科なら進学ルートだよな。とりあえずみんな行くしみたいな感覚。

専門学校2年間なんてあっという間でした。授業受けてバイト行ってまたまたレポートやっての繰り返し。暇があれば夜遊びして後悔して(笑)




ものすごーくざっくりですがこんな学生生活でした。


中学校では成績も普通でしたし体格も小さいくらい。

目立つわけでもない。でも友達はまぁまぁいました。

陸上部では短距離選手でした。恐ろしく持久力なかったもので。。。

ただ、100mでも全然早くはなかったです。いいとこないですね(笑)

生徒A、Bならまだしも完全にモブです。はい。    はい。

 

 

真面目君でもないですが、続けていくうちにリレーのメンバーに選ばれました。

4×100mリレーですね。他3人+補欠2人合わせてもタイムは一番遅かったです。

そりゃあ常々思ってましたよ。

 

なぜ私?なのだと。

 

基本的には3番目を走ってました。コーナー部分ですね。

当時の顧問からは

 

「1番手は瞬発力がある人。2番手はエースの人。アンカーはへばらず伸びがある人」

 

そんな事を言われてたと思います。補正かかってるかもしれませんが。

 

 

 

 

え。3番手は?んー

 

 

「3番手は維持できる人だ。順位もチームの士気もな」

 

実際戦略的には様々な考え方があると思いますが、当時の顧問はそのようにメンバーを選んでいたと。

個人的にはどう受け止めていいものか複雑でしたが、うれしく思いました。

私の事を奮い立たせるためにそう言ったのかも知れませんし、そう言う事くらいしかできない平凡な存在だったかも知れません。

ただ、うれしかったです。はい。ありがとうございます。

 

周りの戦力に助けられて、県大会で5位まで行く事が出来ました。

そのメンバーに居れたことをうれしく思います。

 

 

 

そして高校受験。ある程度、将来のことを考え始めた時期ですね。

私は隣町の工業高校を志望しました。偏差値的には全然余裕のところでした。

担任にも言われましたよ。

 

「お前、もったいないぞ?」って。

 

まぁ何をもってもったいないのかわかりませんでしたが、私自身はものづくりに興味が出始めていたのと

普通科で学ぶよりは何かしら専門的な知識を欲していたのかもしれません。

 

 

その高校は5学科あって、私はその中の機械科に入学しました。

まぁ前時代的な雰囲気でしたねー

なかなか密度の濃い高校生活でしたよ。。。

まずは自分のことを振り返る意味でも生い立ちと言いますか、経歴を書き残したいと思います。

 

 

1991.8.9に生を受けまして現在31歳になりました。

埼玉生まれ埼玉育ち。I love 埼玉。

 

4才頃に保育園に入園。当時は戦隊ヒーローが好きでしたね。

ヒーローごっこなんか毎日やってました。

周りはやはりレッドを取り合っていました。

僕もその中には入っていましたが心なしかブルーブラックグリーンなど

2番手が好きでした。

 

 

 

小学校に入学してからは四年生から少年野球チームに入団しました。

父親が野球中継を見ていたのと、当時イチロー選手がとにかくカッコよくて。

入団直後は補欠もいいところで秀でた物もなかったのでベンチでしたねー。

ただ、そのおかげでいろんなポジションに回されて運よく使ってもらえたり、

そこそこ走れたので代走とかバント要因とかポイントで試合に出してもらえたり。

いつの間にかレギュラーもらえてました。まぁ少年野球なので自慢にはなりませんが。

 

そんな中、思い出に残っている出来事は6年生の最後の大会(だったかな?)で

早々に敗退となるわけですが、その試合後に監督が総括。そして

 

 

お前ら。肩を落とすなよ?皆目指しているものがあるだろう。高校では甲子園出場、更には

 プロ野球選手になりたいだろう。どうだ?そう思っているやつ、手挙げてみろ

 

と。その時に私は手を挙げられませんでした。いや、自分の意志で挙げなかったんだと思います。

まぁものの見事に自分以外は全員手を挙げてました。

 

えぇ。監督は私に気付かなかったのか満足気でした。

 

 

何故手を挙げなかったのか。思い返してみるとそこに明確な目標とか憧れとか確固たる自信みたいなものはなく

絶対に成し遂げたいものではなかったんだと思います。

だからと言って手を抜いたりとかではなく、やるからにはちゃんとやってましたよ。

仮病で休みたいときもたくさんありましたけどね。気持ちは弱々でした。

 

 

 

中学校に入学。地元の公立です。私立に行った子も何人かいました。

野球チームにいた友達は部活なりシニアリーグなりで野球を続けていましたが

野球を辞めたのは自分だけでした。何となくで陸上部に入部しました。

周りからは残念がられましたが、野球は観るか、やるとしても自由で草野球スタンスでやりたいくらいでしたね。

こんなやついたら士気も上がりませんわな(笑)ごめんなさい。

 

 

 

 

 

長くなるので中学以降はまた別で書きます。

初めまして。まうらんと申します。

 

完全に思いつきではありますが本日より投稿を始めさせていただきたいと思います。

 

 

 

最初なので自己紹介からさせていただきます。

 

 

名前:まうらん

年齢:31歳

性別:男

職業:個人事業主(業務委託)

出身:埼玉県

 

おおまかにはこんな感じです。

今後細かく生い立ちや経歴など書いていこうと思います。

 

 

 

この世知辛い世の中、言いたいことも言えない世の中、、、

 

大いに!声を大に!いや、中くらいで

思いの丈を今更ながら残していきたいと思います。

 

 

 

今更なんて言葉は無粋だと思いますが

このSNS全盛期、すべて登録を削除しました。(うまく出来ず情報残ってたりメールきたりはする)

 

情報社会において必須ともいえるツールから手を放し(自分では逃げていると思う)、

Twitter、Facebook、インスタグラム、tiktok、などなど

バズっているワードも人物も現象も切り捨て、ヘビーユーザーや10、20、30、40代

 

いや!今や全国民と言っていいほどの方々から

時代遅れだと言われること必至、世捨て人なのかと思われること請け合い、

そんな決意を胸に本日、まさにこの時に書き始めた所存でございます。

 

 

見にくいところも多々あると思いますが、見てくれることに意味があります。

見てほしいと思う気持ちは比重としてそこまで大きくないです。

自分を見つめなおせるきっかけ、カッコつければ備忘録とでも言いましょうか。

その中でご意見、ご感想、ご批判、共感を持っていただければ幸いです。