つづきです~

「揚げ塩 落花生」


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濃い味フェチのいーすとさんなんですが、「揚げ塩」という言葉にとても惹かれました。

なんか、おいしそうな響きしませんか~?



揚げ塩とは?!?!

よくわからないんですが、昔、「揚げ浜式」の製塩法があって、それから来ていると思われます。
 ←もしかしたら間違いかも。

この「揚げ浜式」製塩法ですが、これは砂浜に海水を散布して、天日干しを繰り返し、

析出する塩を洗い流した水を回収して、それを釜で濃縮する方法だったそうで、

海水を汲んで、散布する作業はそうとう過酷な労働だったそうです。


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忠臣蔵と塩の話のつづきです。

浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)吉良上野介(きらこうずのすけ)
  ←あー、そうか。。漢字をそのまま読んだから「こうのすけ」って書いちゃったんだー ←イイワケ

の争いのお話です。わかりやすく書きますと、

  浅野さん・・・・播州赤穂に五万石持つ藩主。塩作って20万石相当の収入があった。

  吉良さん・・・・四千二百石持っていた。領地は三河湾に面しており、
          製塩で領国を富まそうと考えていた。


吉良さんの地元(吉良吉田)では、治水と製塩に功績のあった上野介は今なお慕われているそうです。

地元で忠臣蔵のお芝居はご法度なんですって!!

この時代に始まった吉良吉田の製塩は昭和45年まで続いたそうです。

ところが、当時、播州赤穂の塩は絶品と評価されていて、三河の塩はまったく評価されていませんでした。

そこで、吉良さんは、浅野さんに製塩法の教えを請うわけですが、

それは浅野さんの企業秘密だったわけで、断った模様です。

その結果、儀式典礼を司る幕臣だった「吉良さん」は対抗上、「浅野さん」に

不利益なように職権を乱用したと思われます。
  ←わたしなりの表現になってます。結構、状況複雑。説明難しい。。


それで最終的に「浅野さん」はキレてしまい、1701年3月14日、

江戸城松の廊下で、吉良さんに斬りかかります。



殿中で刃傷沙汰を起こすことは、御家断絶を意味し、数百の家臣が職を失って路頭に迷うことに

つながり、相当なプレッシャーがあったことが想像されます。

浅野さんは、吉良さんを斬りつけた当日に切腹しますが、

散る桜を見ながら、無念の想いを託した美しい句を残しています。

     風さそふ
         花よりもなほ
               我はまた
                   春の名残を いかにとやせむ

殿中で刀を抜いた、浅野さんは藩主としての資質に欠けるという評価もあるようですが、

大石内之助以下、その家臣団が、純粋に武士道の美学に殉じ、抜群の能力を発揮します。

1702年12月15日 ついに赤穂浪士の吉良邸討ち入りとなります。



ちょっと疲れた~~、きょうはおしまい。(^-^)/~~~

オマケ

満開時の桜です~


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