私が小学校1年生の時、全校生徒の前で読まれる作文の候補にあがりました。

もう、30年以上前の話です。

その頃から、作文を書くのが大好きでした。

自分の思ったことを思ったまま書くことができるので。

普段、言葉で伝えられない思いや、考えをまとめて表す。

そんな行為ができるので大好きでした。



そんな時に、担任の先生に、

「あなたの作文を全校生徒の前で読んでもらおうと思っているけど、手直しがあったらしてきなさい。」

と、一度作文を返されました。

そして、周りにいた他の子供たちに、

「あなた達も、書き直してきて良ければ選ばれるかもしれませんよ」

と言い。

他の子供たちにも作文を返しました。


私は、自分が思ったことをそのまま思いの通りに書いて満足していたので、特に手直ししたい部分はなく、そのまま後日提出しました。



そして、最終的に私の友達が選ばれました。



選ばれなかったことは確かにショックでした。

ですが、それ以上に、ショックなことがありました。



明らかに、その作文が大人の手のはいったものだと私にはわかったからです。



どう考えても、言い回しが大人。

大人に喜ばれる文章。

大人がもともめている模範解答。


そんな、作文でした。



そして、何より、


学校の先生がそれを見抜けないということにもショックを受けました。



他の同級生がそのことに気づいていたかどうかはわかりませんが、

私には解ってしまいました。


なぜなら、子供である自分の言葉で書くことが好きだったから、大人の文章との違いはよくわかるのです。


その時は、「そんなことをしてまでその子が代表になりたかったのか」と、がっかりしました。

ですが、今になって考えてみると、親が代表にさせたかったのではないかと思うのです。



その子とは中学3年の時にも同じクラスでした。


高校受験の時、

滑り止めを受けるのが当たり前の中で、その子は1校しか受けさせてもらえませんでした。

「親にもっと頼んでみたら?」と伝えました。

でも、結局、親の言うとおり1校だけ受けました。

確実に自分が受かる高校だけを。



そして今、


近所にある彼女の家はひっそり静まり返っています。

友達とそのお姉さんは家を出て行ってしまいました。

外観はまるでだれも住んでいないように手入れがされていません。

ですが、時々小さな明かりを見かけるのでご両親が住んでいるのではないかと思います。

(近所ですが、ほとんど会ったことがないので)




なぜ、こんなことを思い出したかと言うと、


この間の秋葉原の事件です。



あの容疑者の親が作文を書いていたとか。


こういう行為がどれだけ子供を傷つけるか・・・。


「あなたの文章はだめです」とレッテルを貼る行為です。


本来、思ったことを思ったまま書くのが作文だと思います。


どんなことでも、どんな文章でもいいのだと思います。


ですが、


それを見る先生の目が曇っている。


本来子供が書くだろう文とは何なのか?


目で見て、心で感じたままであるはずなのです。



目で見ることも、

心で感じることも、

そしてそれを表現する言葉の使い方も、

千差万別。



もう一度思い出してほしいと思うのです。

親にも先生にも。

その他大勢の大人たちにも。




ちなみに、そういうことを見抜けなかった先生はその年に交通事故にあい、入院しました。


それを聞いた私たちクラスメイトの反応。

「やったー!!」

「ラッキ~♪」

と言いながら、

ジャンプしたり、机をたたいたりそれはそれは喜びましたラブラブ


「人の不幸を喜ぶんじゃないむかっ

と思われる方もいると思います。


でも、私たち1年生の子供にしてみれば、

彼女(先生)がいることが不幸なことだったのです。

なので、どんな先生かは想像に難くないと思います。


今、ここまで書いて、気づいちゃいました。(遅い!)

きっと、作文のこと、みんな気づいてましたね。

意識したにしろ、しなかったにしろ、「おかしいな」とはわかっていたのではないでしょうか。

上の反応がすべてを物語っていますね。



気づかれた方もいるかもしれませんが、

「とうとう、やっちゃいました・・・」 も秋葉原つながりです。

認めてもらえない経験。

わかってもらえない経験。

辛いです。

特に親から受けた経験は積もり積もって、大変な事態へ。

やり直しはできませんが、修正していくことは可能だと思います。


秘密は幼いころからの親子関係にあり、です。