昨日は小学校の卒業式でした。桜

6年間は長かったように思います。

長男本人も「長かった」とつぶやいていました。

楽しいことも、苦しいことも、本当にいろいろありましたから。

ただ、卒業式の後、クラスの仲間6人と写真を撮り、上着を脱いで校庭を走り回っている姿を見る限り、本人にとっては充実した小学校生活だったような気がします。


やはり小学校生活の中で一番大変だったのが勉強よりも、友達や先生などの人間関係です。

ひとこと発するごとに本当にさまざまな反応があるからだと思います。

さまざまならまだ良いのです。


考え方を押し付けようとする人、

誰か1人のせいにして大勢で責めたり

自分の考えを正当化するためにたくさんの人を巻き込んだりする人

力でゴリ押しする人、など


厄介な人が多いのも事実です。

なぜ、人は違うと認められないのでしょうか

それを真の意味で一人ひとりができれば、争いや、揉め事は起きないのに。

先生方も、自分の立場や、自分自身と言う人間をを確立するのに忙しく、大事なところで子供たちを傷つけていることが多いです。

(自分という人間をそのまま受け入れられた経験がない大人ばかりだと思うのででこうなる人は先生に限らず多いと思いますが。)


「ルール」や、「こうでなければならない」が学校というところには多すぎて、確かに先生方も苦しのだとは思いますが、それを大事にして自分を苦しめているのも何を隠そう自分自身です。


家庭ではもちろん、学校ぐらいは本来の自分をそのまま表現できる場であってほしいと思います。

そのためにはやはり、まず、そのままの自分自身を受け入れ、自分以外の人たちのこともそのまま受け入れていくことだと思います。

「ルール」や「こうでなければ」に当てはめられないこともあるんだと知ることだと思います。

事実、自分自身は誰かの中にある「ルール」や「こうでなければ」というパズルの一部ではないのですから当てはまらなくて当然ですビックリマーク

そのままで生きてみませんか音譜


そうすれば他人の違うところも、「それも有りだな」となり、自分自身がとっても楽になっちゃうことうけあいですにひひ