大晦日の朝にとうとう父が息を引き取った。
4、5日前から酸素濃度が低くなり、酸素の量を増やして戻ってはいたが、血圧も少し下がり、尿量がだんだんと減っていって、手足のむくみもひどくなっていた。母と孫にも会っておいた方がいいことを伝え、来てもらった。
2日前は「泊まりますか?」と看護師さんに聞かれ
何となく心配で側にいることにした。
頻回にバイタルチェックや尿がでているかの確認と、体位交換、モルヒネの点滴が切れるとアラームが鳴り、必然的に目が覚め、途切れ途切れの睡眠しかとれなかった。
朝のうちにまた母と孫が面会に来たが、神経痛の症状が酷くて、睡眠もままならず、病室へ来てもしばらくすると横になって寝ていた。そんな姿をみて、母まで倒れたら元も子もないと思い、孫に母を連れて帰るように言った。
この日も一日病室にいて、呼吸の度に辛そうに呻き声をあげ、私も見ているのが辛く、たまらず部屋を出る。
気が滅入り、側にいるのが、拷問のようだった。側にいても手や浮腫んでパンパンになった足をマッサージしてあげるぐらいしかできない。そのマッサージさえ、痛いのか、嫌がるように脚を動かしたり。
一時的にモルヒネの量を早送り、体の向きを変えてもらうとだいぶ落ち着いた。父には申し訳なかったが、これ以上ここにいると私のメンタルが破綻してしまう、そう思った。その夜は、急変したときは連絡をもらうよう依頼して自宅へ帰った。

そして、翌朝、早めに病院に行き、夜勤の看護師さんに昨夜の様子を尋ねて、呼吸が弱くなってきていること、痰の吸引をした時は声をだして嫌がっていたこと、血圧も昨日より下がっていることなどを聞き、病室へ向かい、ドアとカーテンをあけた。
父の顔色が!昨夜までとは全然違う。近づくと酸素マスクが、外れて首の辺りまで下がっていた。これが命綱なのに!慌ててマスクをはめるが、動かない!肩を揺すっても反応がない!
ナースコールを押しながら、「お願いします!父が・・・」涙が溢れ落ちた
「もう少し早くくればよかった、ごめんね」1人で心細かっただろう。私1人でも最期を看取ってあげたかった。後悔してもしきれない。やっぱり側にいてあげるべきだった。
でも、表情は苦しそうではなかった。それが唯一の救いだ。

まだ自分で食事ができた頃に「今年いっぱい、どうかな」と自分から言ったことがあった。
「何言ってるの。そんなこと言わないで大丈夫。」て返したけど、これが本当になってしまった。
A型で几帳面だった父らしく、自分で命の期限を決めていたのかもしれない。
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