明日から4月ですねぇ。日々の過ぎるのが本当に早い。
無理に追いつこうとすると溺れてしまいそう。一歩一歩、歩いていくように、着実に進んでいきたいものです。
ちなみに! この考察シリーズ、ほぼ毎回書いていると思うのですが、あくまで、私の解釈とイメージです。「へぇ、そういう捉え方もあるのね」程度に受け取っていただけるとありがたいです。
さて、今回は「女教皇」さんの考察ですが、そんなわけで、以下の記事を読んで「女教皇たんはそんなんじゃない!」って怒らないでくださいね……。
カードNo.2、女教皇さん。
ウェイト版では、両脇に白黒の柱、背後にタペストリー、青いゆったりした衣装を身にまとって座っている、若い女性として描かれています。手に巻物を持ち、足元には三日月、というのがおおまかな特徴ですね。
彼女は、特別な女の子。
我々が住むこの現実世界にも、神の領域にも、どっちにも存在していて、神の声を聞くとされている、神聖な存在。彼女の持つ「2」という数字は、陰陽・男女・光と影のように、二つの極をあらわしています。最近流行りの(?)聖女さまともいえるけれど、霊性だけでなく、高い知性を持っていることは、彼女の持っている巻物が物語っています。
ここからは勝手な想像ですが。
きっと彼女は、幼いころから特別な教育を受けてきたのではないでしょうか。
教会の奥で、聖職者にかこまれて。
なので、知識は持っていて、常に冷静で「正しく」いられる。
それはある意味、脆さでもあるかもしれない。
潔癖であるがゆえに、曲がったことが許せない。
「お金がなくて」「なら無駄遣いしなければいいじゃない」
「太っちゃった」「運動して食べなければいいのよ」
「ふわぁ……ねむい」「夜更かししているからでしょ。早く寝ないせいよ」
「彼女がいる彼を好きになっちゃって」「当然諦めるのよね?」
実際はとても心優しく、そんな言い方はしないかもしれないけれど、そういった「はい論破」的な、極端な考えを持っている。「考えればわかるよね」「自己責任」「パンが無ければお菓子を食べればいいのに」的な。
彼女は、正しい。
でも世間は、正しいだけじゃない。
「それはわかっているんだけどさぁ」ということで溢れている。
「なんで正しくできないの? 簡単なことじゃない!」
考えるほどにイライラして不安定になる。世の中がばかばかしく思えてしまう。
それは、彼女の経験不足のせい。
おなかが減る惨めさも、お金がない焦りも、大事にしてもらえない子どもの絶望も、抑えられない怒りや激情も、知識として知っていても、実感することができない。1+1は2以外にあり得ない。彼女には「3」の要素がない。「第三者」「三拍子」「三人寄れば文殊の知恵」といわれるように、世界の広がり、奥行き、清濁併せ持つ要素。だからこそ、清廉でいられる。
このカードを見ると、ガラスのような、凛とした冷たい硬さを感じます。
あたたかくやわらか、ゴージャスで活発、というより、清貧。
正論はときに人を傷つけてしまう。
他人だけじゃなく、自分のことも。
「女教皇」がそれを教えてくれている気がするのです。