春彼岸と心電図
幸せであります。
思い起こせば
かけがえのない誰かを
この世から失う経験を未だしていない。
祖母・祖父はこの世にはもういないけれど
悲しみに明け暮れるほど
辛いとか哀しさにさいなまれれてはいない。
(そりゃ、それなりに悲しかったけれど・・・)
春彼岸
ある人が亡くなった。
全身の状態から予測できる範囲の死であった。
フラットになってしまった心電図を見ながら家族が
「看護婦さん、僕が手をさすったら
ほら、動くんです。
心臓はまだ動いてるんですよね」
一生懸命、さする振動が
PもQもRも意味しない不連続な電気信号にかわり
モニターに表示される。
さするのをやめると、また、何もない平坦な一本の線に。
その一本の何の変化も生まれない線を拒むかのように
手を、肩を、さする。頬を撫でる。
私は何も言えず
でも同じ時間を共有することもできず部屋をでる。
大切な誰かをこの世から失ったことはまだない。
それがすごく幸せな事なんだと心から思える。
きっと、普通に生きてたらこんな事考えもしない。
この仕事をしているから
大切な誰かを失った瞬間に私は立ち会える。
悲しみにくれる人を見て自分の大切な人を想う。
春風が強く、
バタバタと窓ガラスを強く叩いている。
ちょっと騒々しい春の訪れだけれど
大切な誰かを想いながら今日は寝よう。
大切な誰か・・・
・・・結構、いっぱいいるかも。
それも幸せじゃん。私。
追伸
同じ日にもう一人亡くなりました。
2月、私自身がどん底だと思い、
「辛いよ~」と私自身の事を相談していた患者さん。
その人自身の生きるか死ぬかの瀬戸際だったにも関わらず
今考えても他愛もないことに親身に答えて下さったその人に
ありがとうの言葉をおくりたいです。
最後にお顔が見れて嬉しかったです。
春彼岸・・・
単なる雑節のひとつなのに・・・みんないっちゃうんだもんなぁ。
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