毎日投稿歴カルテNO1683
底本 趙開美刊 「仲景全書」所収 『傷寒論』十巻
日本漢方協会学術部 編 東洋学術出版社
張仲景撰
序2
而進不能愛人知人.退不能愛身知己.遭災値禍.身居厄地.蒙蒙昧昧.惷若游魂.哀乎.
趨世之士.馳競浮華.不固根本.忘軀徇物.危若冰谷.至於是也.
而して進みては人を愛し人を知ること能わず、退いては身を愛し己を知ること能わず、災に遭(あ)い禍に値(あ)い、身を厄地に居く。蒙蒙昧昧(もうもうまいまい)、惷(とう)なること游魂の若し。哀しいかな。
趨世の士、浮華に馳競し、根本を固めず、軀(み)を忘れ物に徇(した)がい、危うきこと冰谷の若くにして、是に至るなり。
註
蒙蒙昧昧 蒙昧、愚昧の意。
惷 愚と同じ。くらい、にぶい。
趨世の士 名利を競い求める世上の士
忘軀徇物 身命の大切さを忘れ、物欲に目をひかれる。
AIに訳してもらうと
進んで人を愛し、人を理解することができず、退いて自分を愛し、自分を知ることもできない。災難に遭い、厄介な場所に身を置き、曖昧で愚かで、まるでさまよう魂のようである。なんと哀れなことか。
世の中の人々は、浮ついた華やかさを追い求め、根本を固めず、身を忘れて物に従い、まるで氷の谷のように危うい状態に至っている。
この部分は、人々が本質を見失い、外見や名利を追い求めることの危険性を批判しています。
余宗族素多.向餘二百。建安紀年以来.猶未十稔.其死亡者.三分有二.傷寒十居其七。
余が宗族素多し。向(さ)きに二百に餘(あま)る。建安紀年以来、猶(なお)未だ十稔(ねん)ならざるに、其の死亡したる者、三分の有二、傷寒十其の七に居く。
註
建安紀年 西暦196年
AIで訳すと
私の一族はもともと多く、かつては200人以上いました。しかし、建安年間(196-220年)以来、まだ10年も経たないうちに、そのうちの3分の2が亡くなりました。そのうちの7割は傷寒(急性の熱病)によるものでした。
この文は、張仲景が当時の疫病の深刻さと医療の重要性を訴えるために書いたものです。
感往昔之淪喪.傷横夭之莫救.乃勤求古訓.博采衆方.撰用『素問』.『九巻』.『八十一難』.『陰陽大論』.『胎臚薬録』.并平脈辨証.為『傷寒雑病論』.合十六巻.
往昔の淪喪(りんそう)に感じ、横夭(おうよう)の救い莫(な)きを傷み、乃(すなわ)ち勤めて古訓に求め、博く衆方を采(と)り、『素問』、『九巻』、『八十一難』、『陰陽大論』、『胎臚薬録』、并びに平脈辨証を撰用し、『傷寒雑病論』、合せて十六巻を為す。
註
淪喪 淪は没と同じ。淪喪は死亡のこと。
横夭 生きておれる人々が若くして死ぬこと。
AIで訳すと
過去の多くの死と若死にの救いがたい悲しみに心を痛め、古い教えを熱心に求め、多くの治療法を広く集め、『素問』、『九巻』、『八十一難』、『陰陽大論』、『胎臚薬録』、および平脈辨証を参考にして、『傷寒雑病論』を編纂し、全16巻とした。
この部分は、張仲景が『傷寒雑病論』を編纂するに至った経緯と、その参考にした古典文献を述べています。
雖未能尽愈諸病.庶可以見病知源。若能尋余所集.思過半矣
未だ尽ごとく諸病を愈すこと能(あた)わずと雖(いえ)ども、庶(こ)いねがわくば病を見て以て源を知るべし。若し能(よ)く余が集むる所を尋ぬれば、思いは半ばに過ぎん。
AIで訳すと
「たとえすべての病を完全に治すことはできなくても、病の原因を見つけることはできる。もし私が集めた知識を探求すれば、理解の半分以上に達するだろう。」
この文は、医療の限界を認めつつも、病の原因を理解することの重要性を強調しています。また、著者が集めた知識を学ぶことで、病の理解が深まることを示唆しています。
夫天布五行.以運万類.人稟五常.以有五臓。経絡付兪.陰陽会通.玄冥幽微.変化難極。
自非才高識妙.豈能探其理致哉。
夫(そ)れ天は五行を布き、以て万類を運(めぐ)らし、人は五常を稟(う)け、以て五臓有り。経絡付兪、陰陽の会通、玄冥幽微、変化は極め難し。
才高く識妙なるに非らざるよりは、豈(あ)に能く其の理致を探らんや。
註
運 生・長・化・収・蔵
五常 仁・義・禮・智・信。
付兪 府は気血の集合するところ。愈は気血の注ぐところ。
玄冥幽微 暗黒で、奥が深く、見通しがきかない。
理致 すじみち
AIで訳すと
夫れ天は五行を布き、以て万類を運らし、人は五常を稟け、以て五臓有り。経絡府兪、陰陽会通し、玄冥幽微にして、変化すること極め難し。才高く識妙なるに非ざるよりは、豈に能くその理致を探らんや。
この部分は、天が五行を展開し、万物を運行させること、人間が五常(仁・義・礼・智・信)を受け、五臓(肝・心・脾・肺・腎)を持つことを述べています。また、経絡と兪穴が陰陽を通じ、玄妙で微細な変化が極めて難しいことを示しています。これらの理を理解するには、非常に高い才能と深い識見が必要であると述べています。
上古有神農.黄帝.岐伯.伯公.雷公.少兪.少師.仲文.中世有長桑.扁鵲.漢有公乗陽慶及倉公.下此以往.未之聞也.
上古に神農、黄帝、岐伯、伯公、雷公、少兪、少師、仲文有り。中世に長桑、扁鵲有り。漢に公乗陽慶及び倉公有り。此れを下り以て往くも、未だ之れを聞かざるなり。
註
神農、黄帝 医薬方術の祖としてあがめられている。
岐伯~少師 黄帝の臣で、伝説上の名医。実在は疑わしい。
長桑 扁鵲の師
公乗陽慶 陽慶は倉公の師で、公乗は官名。
AIで訳すと
上古には神農、黄帝、岐伯、伯公、雷公、少兪、少師、仲文がいた。中世には長桑君や扁鵲がいた。漢代には公乗陽慶や倉公がいた。それ以降は、聞いたことがない。
この部分は、古代から漢代にかけての著名な医師たちを列挙し、その後は優れた医師が現れていないことを嘆いています。
観今之医.不念思求経旨.以演其所知.各承家技.終始順旧.省病問疾.務在口給.相対斯須.便処湯薬.
今の医を観るに、経旨を思求し、以て其の知る所を演(の)ぶるを念(おも)わず、各おの家技を承け.終始旧に順ず。病を省りみ疾を問うも、務めは口給に在り。相対して斯須(ししゅ)すれば、便(すなわ)ち湯薬を処す。
註
相対斯須 病人と相対している時間が一寸の間という意味。
AIで訳すと
今の医者を見てみると、経典の教えを深く考え求めることなく、自分の知識を広げようともしない。それぞれが家伝の技術を受け継ぎ、古い方法に従うばかりである。病気を診察し、患者の状態を尋ねることも形式的で、口先だけの対応に終始している。少し話をしただけで、すぐに湯薬を処方する。
この部分は、当時の医者たちが古典の教えを深く学ばず、形式的な診察に終始していることを批判しています。
按寸不及尺.握手不及足.人迎趺陽.三部不参.動数発息.不満五十.
短期未知決診.九候曾無髣髴.明堂闕庭.尽不見察.
所謂窺管而已.夫欲視死別生.実為難矣.
寸を按じて尺に及ばず、手を握りて足に及ばず、人迎趺陽、三部参えず、動数発息、五十に満たず。
短期なれば未だ決診を知らず、九候は曾(かつ)て髣髴無し。明堂闕庭、尽(こと)ごとく見察せず。
所謂(いわゆる)管より窺がうのみ。夫れ死を視て生を別たんと欲するは、実に難きと為す。
註
動数発息 動は脈の拍動、発は脈の搏ち出るを言い、息は脈の搏ち去るを言う。
明堂闕庭 明堂は鼻。闕は眉間。庭は顔。
AIで訳すと
寸口の脈を診るが尺脈に及ばず、手を握るが足の脈に及ばない。人迎と趺陽の脈を診るが、三部の脈を総合的に診ることができない。脈の動きや呼吸の数を診るが、50回に満たない。
短期間では診断を決定することができず、九候(脈の九つの状態)を全く把握できない。明堂(顔の中心部)や闕庭(眉間)を全く観察しない。
これはいわゆる管を覗くようなものであり、死を見て生を分けることを望むのは、実に難しいことである。
この部分は、当時の医者が脈診や診察を十分に行わず、表面的な診断に終始していることを批判しています。
孔子云.生而知之者上.学則亜之。多聞博識.知之次也。余宿尚方術.請事斯語。
孔子云う、生まれながらにして之を知る者は上、学ぶは則ち之れに亜(つ)ぐ。多聞博識は知の次なり。
余は宿(つと)に方術を尚(たっ)とぶ。請う斯(こ)の語を事とせん。
AIで訳すと
孔子が言うには、「生まれながらにして知っている者は最上であり、学んで知る者はその次である。多くを聞き広く知識を持つ者はさらにその次である。私は昔から方術を尊び、この言葉を実践しようと努めている。」
この部分は、孔子の教えを引用し、知識の習得方法とその価値を述べています。
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