〈昨日、志位氏が私が住んでいる高槻市にやってきて、駅前で演説したそうだ。小選挙区で候補者を立てていないのに、なぜなんだろう。知っていれば応援に行ったのに、知らなかったから、摂津峡にある芥川山城跡に登って、演説の時間帯は温泉につかっていた。残念〉
日本をめぐる「平和」の課題はどのように変容したのか。少し説明しておきたい。
20世紀中を支配した「冷戦」とは、価値中立的に言うと、世界のどこかで米ソがからむ戦争が起きた際、それが世界規模のものへと発展することを前提とするものであった。世界規模だから、日本もそれとは無縁でいられない。
例えば中東でそれが起きた場合も、ソ連は極東地域からも中東へ軍隊を派遣しようとするし、在日米軍はそれを阻止しようとする。その際の日本の役割は、ソ連の潜水艦隊が3海峡を通過しようとするならば、アメリカから100機も購入して訓練を重ねた対潜哨戒機で発見し、攻撃するわけである。それに耐えかねて極東の陸軍が北海道から進駐してくれば、北海道に多数配置された陸上自衛隊が迎え撃つのである。
その出発点となる中東の戦争は、米ソのどちらに責任があるのかはどうでも良い。アメリカが悪いという人もいるだろうし、国民の多数はソ連の実態をリアルに捉えていたので、戦争を起こすのはソ連だと考えていただろう。しかし、いま中国が台湾周辺でやっているように、ソ連軍が北海道を取り囲む演習をしているわけではないので、当時、共産党が平和の課題として「ソ連の侵略を阻止する」と主張する必要まではなかった。「安保条約を廃棄してアメリカとソ連の両方から軍事的に中立を保つことが米ソ戦争に巻き込まれない道だ」と主張すれば良かったのである。安保廃棄が平和の課題として通用したということである。安保条約を支持する人だって、戦争に巻き込まれない選択肢として、その廃棄を視野に入れることができた。
しかし現在は異なる。日本が周辺諸国の脅威にさらされていることを、現実に目の前で見ることができるからである。中国は20世紀の途中までは自国民を食わすことにも苦労していたのに、いまや東シナ海から南シナ海までは自国の海であるかのように振る舞い、日本の領海である尖閣周辺には連日のように侵入し、領空まで侵すようになってきた。誇大に言われているし、煽られていることも現実ではあるが、事実であることは否定できない。
米ソ冷戦時代は、先ほど述べたように、どちらが悪いかという判断を抜きにして、安保廃棄で戦争に巻き込まれないという選択肢を提示しても、それなりに支持を得ることができた。しかし、いま国民が体験しているのは、かつてのソ連とは異なり、中国が日本の領域を侵犯しているという現実である。
その侵犯が、日米安保条約を根拠として行われているのなら、安保廃棄を政策的選択肢として提起することも不可能ではないだろう。けれども、そんな根拠を中国が口にしているわけでもない。実際問題として、安保条約があるから中国が尖閣領海に侵入しているわけではないし、どちらかと言うと、安保があるからおずおずとやっているのが現実だろう。
だから国民の中には、冷戦時代のように、「安保を廃棄しないと戦争になる」などと感じる人はいない。逆に、「安保があれば安心だ、なくなれば不安だ」と思うのである。冷戦時代とは国民感覚が根本的に異なっているのだ。
一般論として、軍事同盟の対抗が緊張を激化させ、戦争の要因になるとは言える。だから、そういう対抗から抜け出すために、日米安保条約などの軍事同盟を廃棄することを目標とすることは不可欠である。また、次回に論じることであるが、平和の課題を離れて、日本の独立と主権という角度から見た場合、日米同盟のくびきを立ちきることはきわめて緊急の課題となっている。61年綱領がアメリカ帝国主義を「敵」と位置づけたのは、日本の独立の視点では現在においても不滅の意義がある。
しかし、日本の平和という視点で捉えると、共産党の2004年綱領が提起したように、「安保条約が維持されている第一段階」は必要であり、かつ可能なのだ。野党共闘の政府というのは、綱領が示す第一段階の政府なのである。(続)
