前回書いたように、大戦中から直後にかけて、ソ連による大量粛清・人権抑圧の実態が世界に伝わり、国連総会決議によるUNHCRの創設につながった。それをソ連が反ソキャンペーンだと宣伝したが、国連加盟国の多数は創設を支持した。戦後の長い間、共産党は国連に対して「アメリカの投票機械」だと位置づけており(61年綱領もそうだった)、確かにそういう面はあったのだが、この一事に示されるように、アメリカは常に悪行を働いたわけではない。

 

 他にも、過去の公式が通用しないことがいろいろある。たとえば軍事同盟の対抗関係についてだ。

 

 東欧までソ連軍が進出してきたという事実は、西欧諸国にとっては、国境を越えれば自分たちの国も似たような体制になる危険を感じさせることになる。そこで西欧諸国は、のちにNATOとなるブリュッセル条約機構(1948年。イギリス、フランス、ベネルクス三国)を結成した。本音はソ連への対抗であったが、条約の明文でうたわれたのは、ドイツの脅威が復活することへの対処であり、ソ連を刺激することはなるべく避けようとした。

 

 日本共産党や関連団体の文献でよく言われたのは、西側がNATOをつくったのが1949年であり、東側のワルシャワ条約機構の結成は1955年だったことをもって、軍事同盟を主導したのは帝国主義陣営で会って、社会主義は防衛上、対抗を余儀なくされたということだった。しかし、ソ連はドイツ打倒の過程で東欧を占領した軍隊を2国間防衛条約を締結してそのまま東欧に残していたのであって、「同盟」という点でも社会主義の側が先行していた事実は率直に認めなければならない(そういう事実の指摘は現在に至るも共産党側からは出ていないけれど)。

 

 また、軍事同盟に対して軍事同盟で対抗すれば悪循環になるという指摘があり、一般論としては間違いではない。しかし、あれだけの大量虐殺をした体制が目の前にあらわれた際の恐怖は、やはり理解しておかないといけないと感じる。

 

 しかし、その現実を目の当たりにした西欧諸国の共産党も、当時、無条件にソ連の体制を擁護していた。NATOは批判するがワルシャワ条約機構を防衛機構だと賞賛していた。

 

 遠く離れた日本でも、リアルに国際情勢を見る能力のある人には、以上のようなソ連の問題はちゃんと認識できていただろう。しかし、共産主義イデオロギーを無条件で信じていた当時の共産党にとっては、ソ連がドイツの侵略を打ち破り、ファシズムを打倒するのに貢献した事実だけが目に見えており、またイデオロギーと現実の体制を区別できるだけの能力もなく、ソ連はいささかも疑う対象ではなかったわけだ。

 

 変化のきっかけは、やはり56年2月のスターリン批判だった。それが日本共産党に与えた影響は、単純には描ききれない要素が満載である。(続)