さて、これまで紹介してきように、私は「九条改憲反対を国民的規模でたたかうために」というタイトルの論文を「議会と自治体」誌に発表し、志位氏から自己批判を求められたのである。これを公開したのは、当時の志位氏の対応を恨みに思っていて、現時点で批判しようとするからではない。そうではなくて、当時の党中央の対応は、現在とくらべてかなりまともだったと分かってもらいたいからである。

 

 私が自己批判を求められたのは、公開された文書にあるような、自衛隊違憲論が書かれていないという問題ではなかった。自己批判のための会議は、小池晃氏を団長として数回開かれたが、自衛隊違憲論がテーマになったのは、私が自己批判を拒否する立場を鮮明にし、この論文が間違いだというなら、誰か幹部が私を批判する論文を書いて公表すればいいではないかと言い出したあとである。それならば、議論してきた中心問題での自己批判はしないでいいから、自衛隊違憲論が論文に書いてないことだけを自己批判せよと求められたのである。この論文で私は、自衛隊を解消することは書いていたが、「違憲」という用語を使っていないのは事実だったので、そこだけは自己批判した。まさかそれから十数年後、志位氏が政権としては自衛隊合憲と言い出すなど、想像もしなかったけれど。

 

 では、議論の中心になったのは何かというと、自衛隊活用論であった。私は論文のなかで侵略されたら自衛隊を活用する党の立場を鮮明に打ち出しているが、志位氏によると(志位氏は自己批判を議論する会議には参加せず、小池氏の口から語られた志位氏の言葉ということだが)、侵略された場合の自衛隊活用論を2000年の第22回大会で決めたけれど、活用するのは日米安保条約を廃棄したあとのことであって、安保条約が存続している限り、自衛隊を活用するのは誤りだというものだった。

 

 しかも、22回大会の当初の議案では、安保条約が存続していても自衛隊活用をすると誤解する表現があったから、大会で訂正したというのだ。しかし、確かに大会で一部修正され、志位氏が結語でその理由を述べているが、その説明のなかには安保条約があるかないかで対応を変えるような中身は含まれていない。もし、志位氏の意図がそういうところにあったとしても、誰も分からないように訂正したというのでは、大会決議の意味をなさない。

 

 小池氏は、「僕だって、侵略されたら自衛隊を活用すると言いたいですよ。でも、委員長がそういう意図で修正したと言っているのだから、仕方ないじゃないですか」と私を説得しようとする。

 

 小池氏も心のなかでは私と同じだと知って、私は勇気づけられる。そこで自己批判しない立場をより明確にした。

 

 まあ、経過についてはもっと語りたい内容があるが、この連載ではそこは主題ではない。大事なのは、自己批判を求められても、それを拒否すれば、当然のことのようにそれが認められたことである。現在、党内の至るところで自己批判が大流行で、心の底から間違いだと思えない限り(つまり内心を変えない限り)自己批判の資格がないとか、自己批判しない限り処分になるとかの論理が横行しているが、当時の党中央は、そんな立場に立っていなったのである。(続)