党が「反撃」を開始したのも、私の除名を決定したあとである。私の目の前にはいつも「松竹パンフ」がおかれているが、藤田論文以外はすべて除名の決定以降の論文である。

 

 先陣を切ったのが中祖氏の2月9日付の中祖氏の「朝日」社説批判だった。そしてその日、志位氏の記者会見が開かれ、それ以降は嵐のような「反撃」が開始される。

 

 つまり、私が本を出した直後には、つまりメディアによる「党攻撃」などは存在せず、「赤旗」による反撃も必要なかったということだ。だって、私の党首公選の主張はメディアに好意的に受け止められたのであって、ちゃんとそれが党内での議論になっていけば、党の後退を食い止める力になったのかもしれないのである。

 

 ところが党の対応は除名であった。メディアはそれを好意的には受け止めず、批判的に報道することになった。つまり、除名という「党の判断」がメディアによる「攻撃」を生みだしたのである。大山氏の言う通りだ。

 

 中祖氏は統一地方選挙を控えた「機敏な対応」の必要性を強調する。しかし、いま紹介した時間軸でも分かるように、除名がされなければ、あるいは少なくとも選挙前にされなければ、選挙に影響を与えることなどなかったのである。

 

 あの当時、誰だって、そんな程度のことは理解できていた。ネット上では、党員と思しき何人もの人が、選挙に影響するから除名だけは避けてほしいと書いていた。

 

 党の中央委員のメンバーだって、何十年もの間、会議の度にいつも常任幹部会の提案に賛成してきたけれど、今回の問題での思いは同じだったはずだ。だから、選挙後に開かれた党の8中総で、〝なぜあの時期を選んだのか〟として、党中央の判断に対する批判的な質問も出されたのである。中祖氏も、この発言について、9中総直後の「赤旗」記者会議で、「委員長の『率直な議論をしよう』という呼びかけに応えて、この松竹氏の問題を巡ってですね、『地方選前の除名というタイミングは悪かっ』という意見も飛び出した」と認めている。

 

 その8中総での質問に対して、志位氏の弁明は理性的なものではなかったと思う。メディア(週刊文春)の記者が自分の自宅まで追いかけてくるのだから、ただちに対応しなければならなかったという弁明である。党の命運がかかっているのに、そういう個人の感情を優先して判断するのはおかしいだろう。

 

 それが反共メディアだというなら、まだ情状酌量の余地があるかもしれない。当時は、文藝春秋のことを権力側の出版社だと宣伝し、私に対しては「権力に取り込まれた」とさんざん批判した。

 

 しかし、それから1年経って、志位氏は自宅まで追いかけてきた権力側のメディア(週刊文春)の対談企画に応じたのだ。しかもその対談をみんなに読んでほしいと宣伝しているのだから、余計に選挙前の除名判断の正当性が問われることになっているのである。

 

 これで大山氏関連は終わって、次回以降は、中祖氏のそれ以外の大会発言のシリーズになる。ただし、「赤旗」の昨日付で中祖氏の安保問題に関する長い論評記事が載っているので、それも俎上に載せたい。シリーズ16回目となるとあきられるかもしれないので、タイトルは別のものをつけてみようかな。(続)

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〈6月末まで常時掲載〉共産党からの除名撤回を求める裁判の第1回目の期日は6月20日(木)の午後2時から、東京地裁第421号法廷です。この日の午後6時より、池田香代子さんとの対談を行います。会場参加ご希望の方は、応援隊ブログから申し込んでください。なお、その日、裁判闘争を闘うために執筆中の『私は共産党員だ!』(文春新書)が刊行されます。6月末時点で私のメルマガを年間契約(8400円)してくださっている方には本をプレゼントしますので、それまでにメルマガをここからお申し込み下さい。