私は若い頃、共産党の書記局長だった金子満広さんの国会秘書をしていて、その金子さんが労働委員会に所属していたので、ILOに関心をもって調べたことがある。『前衛』(92年9月号)に「社会発展史のなかのILO」という長い論文を書いたりもした。

 

 2003年に共産党が綱領の全面改定案を公表した際、ちょうど参議院選挙の比例区の候補者をしていたこともあり、綱領の講義を求められることがあった。「安保外交部長」だから政治問題だけというわけにはいかず、というか求められたのは綱領の「資本主義の枠内での民主的改革」の路線がどう生まれ、どう発展したかだったので、主にそういう内容で講義していた。その成果は『ルールある経済社会へ』(新日本出版社、2004年刊)という本に結実している。

 

 その際、前出の『前衛』論文を所収したのだが、10年分を書き足すことになった。その10年は、ILOが岐路に直面した10年であった。だって、ILOというのは、ロシア革命が起きてソ連が8時間労働制の布告を発出した衝撃で生まれたようなものだった。資本主義の側がロシア革命の影響から免れるために、労働時間規制などに迫られたわけだ。

 

 そのソ連が崩壊したわけで、条約で資本の横暴を規制してきたILOの存在意義が問われたわけである。市場経済が席巻し、グローバル化が進み、果たしてILOはかつてのような役割を果たせるのか。21世紀のはじめの頃はかなり悲観的な論調が少なくなかった。私も、果たしてどうなるやらと案じていたが、退職したこともあり関心が薄れていったのだ。

 

 実際、「赤旗」の「『ビジネスと人権』の前進」の連載でも、この時期に国連やILOが何度も失敗したことが紹介されている。でも、歴史はちゃんと前に進むんだね。この「赤旗」では、「ビジネスと人権」は資本主義の枠内での改革だが、それが未来の社会主義の土台になることが論じられている。

 

 いまでも「赤旗」や共産党は「大企業=悪玉」論に立っていると思っている人がいる。いや、実際にそういう面もあるのだが、資本主義の枠内での努力が未来社会につながることを考えれば、ただ企業を批判していては共産党の役割を果たせない。今回の記事は、大事な指摘をしたのではないだろうか。

 

 明日は、本日大きく取り上げられていたオーストリア共産党の記事を論評する。