本日から出張で上京の途中。会社の仕事以外の用事もあるけれど。

 

 京都駅に向かうJRでボンヤリと吊り広告を見ていたら、近く金沢〜敦賀の間の新幹線が開業するということで、JRの宣伝文句が飛び込んできた。敦賀まではこれまでと同じく特急サンダーバードが動くのだが、そこで新幹線に乗り換えて金沢へ行く場合のお得なキップを発売するとか、そんな内容だった。

 

 それを見ながら思ったのは、ああそうか、これまでは能登半島の加賀温泉まで行く場合、サンダーバードで乗り換えなしだったのだけれど、今後、新幹線を使う場合、金沢駅でまた乗り換えしないといけないのかということだ。能登の人にとっては分かっていたことなのだろうけれど。

 

 この間、都市型の災害ということが焦点になってきて、それは影響の大きさから当然なのだ。しかし、人口の少ない過疎地の災害だったら被害は大きくないのかというと、まったくそうではないことを今回の地震は見せつけることになった。

 

 いや、一人ひとりにとっては、都市型か過疎地型かというのは、関係のないことだ。誰にとっても被災することは、同じ重みを持つ。でも、全体の状況を俯瞰的に見ても、大小は論じられない面がある。

 

 例えば津波。3.11の場合、人口が密集する地域を津波が襲ってくる場面を見せられたが、今回、一つひとつの集落は小さくても、その集落がいくつも点在していて、合計すると何千人もが被害を受ける。しかも、点在しているが故に、寸断されて救援の手が差し伸べにくい。

 

 そして、日本の圧倒的な地域は、こうした過疎地である。そういう地域が同様の被害に遭うことを想定して、今後の地震対策は考えられなければならないのだろう。そして、そういう地域の政治社会をどう再構築していくのかも。

 

 どうせ限界集落になっていく地域への投資は無駄だという論調が生まれている。倫理的に許せないのはもちろんなのだが、じゃあ地域の人々の生業が成り立つ能登、太平洋沿岸地域以上に住みたくなる能登をどうつくるのかが提示できないと、反論も説得力がないのだとは思う。

 

 古代、この地域は大陸と活発な交易があって賑わっていたはずだ。効率優先の現代社会では無駄として切り捨てられてきたが、成長一辺倒でなく住民の暮らしと幸福が優先される社会をめざせば、日本海全体の経済構想のなかで再び活性化させる道筋は描けるかもしれない。

 

 今回の地震の特徴、原発の問題、震災対策の課題、その一つとして自衛隊の救援活動の問題、そして今あげた問題などをまとめて、本をつくってみようかな。どなたか、自分が書きたいとか、著者としてこの人はどうかというものがあったら、是非ご提案ください。