社会主義の実現を「革命」と言わないのも、その同じ権力論から来ている。不破氏が2004年の綱領全面改定の際の党大会への報告で理由を報告しているが、こういうものだった。

 

「では、社会主義への前進のさいに、同じようなこと(=権力の移行)が起こるだろうか、というと、この過程には、いろいろな場合がありえます。国民の大多数が社会主義・共産主義への前進を支持するときには、政権を構成している勢力のあいだでも、それに対応する前進があるでしょうから、民主連合政府が、『社会主義をめざす権力』に成長・発展するという場合もあるでしょう。あるいは、情勢の進展のなかで、政権勢力のあいだに再編成が起こり、政権の構成が変わる、という場合もあるでしょう。実際的には考えにくいことですが、理論的には、別個の勢力がそれまでの政権にとってかわって、新しい任務の推進者になるという場合も、起こらないとはいえません。社会主義的変革への発展は、国の権力という面から見ると、こういうさまざまな可能性をふくみますから、国の権力が別の勢力の手に移行することを意味する『革命』という言葉は、使いませんでした。」

 

 あまりすっきりとした説明ではないが、大ざっぱに要約すると、民主主義革命によってすでに権力は「日本国民の利益を代表する勢力」に移行しているわけだから、社会主義になるといっても、その範囲でのあれこれの編制替えのようなものではないかということであった。社会主義になるに際して、権力がまったく別のものに移行することは「実際的には考えにくい」ということであった。だから、「革命」という言葉は使わなかったという説明であった。

 

 この連載との関係で大事なことは、最後のほうで不破氏が、「国の権力が別の勢力の手に移行することを意味する『革命』」と述べていることである。革命というのは、もし一言で表現する場合は、8中総で志位氏が行ったように、「大もとから変革する」ことではない。レーニンも強調し、不破氏も述べているように、「権力の移行」なのである。多少ともマルクス主義をかじったものなら、誰もがそう述べるであろう。

 

 問題は、権力の移行が革命だという「革命政党」論は、党内では多少は「不屈性」を高めることに役立つかも知れないが、国民向けには評判が悪いだろうということである。議会での多数を獲得して平和的に日本を変革するのではなかったのか、そういう仕事とは別に「権力の移行」という仕事を共産党はやろうとしているのか、議会の多数獲得は平和的にやれると思うが、「権力の移行」はどういう手段でやるのだという疑問を生み出すのである。

 

 そして、61年綱領は、解釈次第では「議会を通じての平和的な革命」路線とは相容れなくなる可能性があった。その種の弱点があった。それを全面的に改めたのが2004年綱領なのである。(続)