昨日書いたように、共産党は、私が日本記者クラブで2月6日に講演することが分かっていながら、その前日に除名処分を強行し、当日にそれを承認した。強行すれば私が除名問題をテーマにして記者クラブの加盟各社に語ることになると分かっていながら、それを強行したのである。昨日最後に書いたことだが、「なぜ共産党はそんな下手な手を打ったのだろうか」。

 

 いやこれは、今になって疑問に思ったわけではない。除名の過程が進行する最中、ずっと疑問だった。だって、5日に処分を決定すること、6日にそれを承認することは、処分のための調査が行われた2日には党から聞かされていたことだ。

 

 だから私は、除名処分が5日に決まれば、6日に予定していた話の内容を変えなければならないと思い、多少、あせっていた。人前で話すことは慣れているつもりだが、さすがに1時間におよぶ講演内容を講演の数時間前に変えるなんて、かなりの荒業である。個人的にも、困ったことになったなと感じていた。

 

 それ以上に、記者クラブで私が除名の不当性を訴えるようなことは、党としても歓迎しない事態だろうという感覚があった。だから、記者クラブの講演日程を知っている党が、その直前に除名を強行するようなことはまさかやらないだろうという、党の良識への期待も残っていたと思う。

 

 しかし、そうはならなかった。なぜだろうか。

 

 1つ思い浮かぶのは、私を最初に批判した「赤旗」政治部長の藤田健論文で、私のことを「現役党員を名乗る」松竹と表現していたことだ。1月23日の常任幹部会会議録でも、「現役党員を名乗る」松竹という表現が出てくる。

 

 「現役党員を名乗る」とうのは不思議な表現だ。普通こういう言い方をするときは、名乗っているがじつは疑いがあるぞ、という場合だろう。いまも目の前の事件報道で、「医師」の肩書きが出てくるが、医師であることは疑いようのない事実だから、そう表現するのである。もしこれが「医師を名乗る」誰々という表現だったら、「医師を騙っている」という気持を表現することになる。そして、党本部勤務員だった過去を持ち、その後も党会議への出席を欠かさず、ずっと党費も収めてきた私が党員であることは、党にとっては自明なことであって、「党員を名乗る松竹」という表現は、常識があれば使わない。

 

 ここからは推測も入るのだが、にもかかわらず私に対して「現役党員を名乗る」という表現を使ったのは、「現役党員を名乗れなくしてやるぞ」という強烈な気持のあらわれだったと感じるのである。とりわけ、かなり公的な性格の強い日本記者クラブの会見で現役党員を名乗らせるようなことはさせない、そんなことをさせたら栄えある100年の歴史をもつ共産党の名前が汚される、そうならないよう必ずその前に除名するという党中央現指導部の確固とした意志が貫かれたのだと思うのだ。

 

 つまり感情が理性を圧倒したのである。だから、それが党を苦境に追いやるこんな結果をもたらすことについては、党中央の思考が及ばなかった。共産党の幹部は、28大会の報告でも言われているように、「長い経験と豊かな知恵をもつ試されずみの」人たちなのだが、その「経験と知恵」とはこの程度のものなのだ。

 

 それにしても、がっかりしたことが一つある。私は除名が決定された5日の夜、翌日に何を話そうかと考えて党規約を読み直し、除名されても党大会に再審査を求めることができる規定があることを知り(55条)、翌日の記者クラブでそれをお話しした。

 

 その私の講演直後に、国会で小池晃氏の定例記者会見があり、私の会見に出ていた記者が「先ほど、松竹さんが再審査を求めると述べたが」と見解を聞いたら、小池氏は、「そんなことはできません」と一蹴したそうだ。記者が、「いや、規約にこう書いているのではないか」と迫ったら、「規約上の再審査ならあるでしょう」と、あわててかわすことになった。共産党のYouTube動画に出ているので、関心のある人は観てほしい。

 

 なぜがっかりしたのか。私を除名処分せよと京都の党に命じた党中央は、「松竹に現役党員を名乗らせない」という感情の高ぶりに囚われて、私を党から放逐することだけに目を奪われ、党規約すらまともに読んでいなかったということだ。そういう党中央が、今後、党規約や綱領について語ったとして、果たしてだれが信用するのだろうか。次回から「革命政党」論の長期連載。(了)