100年の歴史のなかで、安保廃棄の民主連合政府はあきらめ、暫定でもいいからと初めて政権入りに挑戦した。しかし、実際にやってみると、いまからつくろうとする政権のことを「暫定」政権とは言えない。共闘の相手に対して言えないだけでなく、そんな中途半端な気持では政権など取りに行けない。取りに行くからには長く続く政権にして、その期間に多くのことを達成したい。

 

 政権構想が想定上の問題だった時代から、実際の問題になったとき、志位さんが感じたのはそういうことではなかったのか。いや、必死でやっていると自分では分からないものだが、私のように傍から見ていると、客観的にはそういう心の動きだったのだと感じる。

 

 党史上はじめて政権入りに挑戦した党首の決断はすごかったのだろうな。そのためには、自衛隊活用どころか、安保条約の発動、自衛隊合憲にまで踏み込んでいったのだから。

 

 けれども、そうなってみると、もう一つの予想外の問題が生まれる。安保条約の位置づけのことだ。

 

 共産党の基本政策は、現在でも安保廃棄である。野党政権になってもそこは党として変わらない。その理由は何かと言うと、安保は日本を守るためのものではなく、他国に軍事介入するためのものであり、安保がある限り日本は戦争に加担協力するからというものである。

 

 ということは、共産党も加わる野党政権では、必ず日本は戦争に加担協力する政権ということになってしまう。しかも、理論的想定にとどまっていた時代なら、当面の課題を達成したらすぐに解散し、総選挙を行い、安保廃棄の政権にするのだと主張できた。矛盾があることを承知のうえで、その矛盾は短期間で解消すると説明することができた。だが、実際には共産党は、野党の政策的一致点を広げるための努力をすることによって、安保を維持する期間がどんどん長期間になるように努力するのである。

 

 つまり、共産党の意思として、戦争に加担協力する安保を容認する政権に入り、その政権が長く続くように努力するということだ。共産党はこうして究極の矛盾を抱え込むことになったのだ。

 

 しかも、それだけの苦悩をしてがんばっているのに、他の野党からは基本政策が違ったままでは政権協力はできないと突き放される。党員からは、なぜ安保を維持し、自衛隊を合憲だと言うのだと突き上げられる。股割き状態になってしまったのであった。(続)